従来の仏教では煩悩からの解放が目的であったが、善導や法然の浄土教では、煩悩のただなかにあって、しかも煩悩を超える道を提示したのである。煩悩の否定や克服は問題ではないのだ。文字通り「凡夫」のままで救われて行く道があるのである。