応えられた祈りは怖い。責任が含まれているからだ。自分がそれを頼んだからだ。それを得たからには、どうすべきかが問題となる。でなければなぜ「願い事には気をつけよ、本当にかなうかもしれないから」という用心深い慣用句があるのか?