あまりにも「気晴らし」の方法が発達し、一切が娯楽的に興行化されるという特徴を現代は示しつつある。どんな事件も調味料を伴った興味本位で流布され、我々は一瞬面白がりながら関心をもち、忽(たちま)ち忘れてしまうという恐るべき状態に在る。まるで人生そのものが気晴らしであるかのように。