親切な人が来て、「震災の体験をしゃべってください」「たいへんでしたね。 何かしゃべってください」と言ってきたりしますが、見ず知らずの人にしゃべっても、心が治まるはずはないのです。この人になら言えるという人にしゃべってこそ意味があるのであって、そのところが不問にされている。