思い屈するような心萎える時間こそ、心が撓(しな)っている状態で、重い雪をスーッと滑り落としているときなんだから、それを肯定し自分を認める。ああ、そうか、俺はまだやわらかな、撓う心を持っているんだと感じて、憂鬱で無気力な自分をも認めたほうがいいんじゃないでしょうか。