「生きている価値」といったことは、客観的に「これこれのことをしたら生きてる価値がある」というふうに決められるものであろうか。ムー(無相)には、どうも、「生きてる価値」といったものは、至って、主観的なものではないかと、思われるんだけれどどうであろうか?