親鸞の場合は「ハラを立てる、欲をおこす、ウソを言う」あらゆる「煩悩」を「悪」とも言うのですよ。言うというより、「悪」と感じるのですよ。感じずにおれんところに「悪」があり、その自分が「悪人」というわけですよ。