我々(=作家)の言葉は、どれも本当の意味では我々の独創ではなく、体質や性格、環境、教育、連想などによって生じる小さな変化をのぞければ、我々自身のものと言えるものはなにもない。その小さな変化によって、我々の言葉は、他人の表現とは異なっているように見えるのであるし、独自の文体という特徴を与えられて、そのひと独自の言葉として通用するだけなのだ。