(この歴史作品から)教訓を得る人は、それでよい。しかし、歴史から学ぶことになど無関心で、ただそれを愉しむために読む人も、私にとって大切な読者であることに変わりはない。いや、そのような人を満足させえてはじめて、真にためになる教訓を与えることも可能なのだと信じているくらいだ。