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北野武

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ビートたけしは日本のお笑い芸人、漫才師、俳優、映画脚本家、監督であり1980年代初頭の漫才ブームで漫才コンビ・ツービートとして活躍し、社会風刺を題材としたシニカルな笑いで人気を獲得した。その後テレビ番組への出演や映画出演、脚本家、監督としての活動もしている。

今じゃ世の中豊かになって、たいがいのモノは手に入るようになった。それで、親も子供も世の中も「努力すれば夢は叶う」と勘違いしてしまったのかもしれない。でも本当は「努力すれば叶う夢もごくまれにある」ってことなんだよ。
調子に乗ってる若手(芸能人)ってのは、きっと「自分は代わりのいない存在」だと勘違いしてる。だけど今や、芸能界にはそんな存在はほとんどいない。
日本の文化というのは「貧」の文化なんだ。貧乏だからいろんな知恵だとか、一種の道徳律みたいなのが出てきた。「貧」がなければ品がなくなるのは当然でね。日本を取り戻す特効薬は「貧」しかない。
技術的にはデタラメでも、芸の衝撃度とか物珍しさがあればブームになって、視聴率も上がるんだよ。だけど、芸人の実力が人気に追いついてきて「いい芸してるね」「技術があるね」なんて批評されはじめた頃には、もうブームは終わりに向かってる。
(もし視聴者が)「うまい漫才」を見たいってんなら、オイラより年上の大御所の漫才師たちが視聴率20%以上バンバン取れなきゃおかしいわけだけど、そうはいかないだろ。
オーイ、空は青いか、海は広いか、夢はあるか、友はいるか、誰かに恋してるか、ポケットの中の金で満足か、そーか、じゃあ、さっさと死ね
アタリかハズレかはまた別ものだけど、やっぱり姿勢はくずしたくない。自分のやり方は……。
思う通りにやって駄目だったらそれだけのことって納得できるけど、他人の言うことを聞いて駄目だったらどうにもならないよ。
鳥のように自由に空を飛びたいなんて言うのは勝手だけど、鳥が飛ぶために何万回翼を動かしているか、よく見てごらん。
いろんな仕事をやろうと思ったら、やっぱり(何か一つ)基本がなきゃダメなことは多い。
赤信号、みんなで渡れば怖くない!
オレはまだまだ変わっていくよ。ドキドキしたいからね、自分に。
人は何か一つくらい誇れるもの持っている。何でもいい、それを見つけなさい。勉強が駄目だったら、運動がある。両方駄目だったら、君には優しさがある。夢をもて、目的をもて、やれば出来る──こんな言葉に騙されるな。何も無くていいんだ。人は生まれて、生きて、死ぬ、これだけでたいしたもんだ。
芸人はバカだと思われてもいいし、ワルだと思われても構わない。だけど、同情されちゃ商売にならない。
今、この瞬間から別の行動を起こせば、未来は変わっていく。この瞬間から違うことすれば、未来なんて変わるんだ、そう思う。
「自由」や「権利」を主張するときには「義務」「ルール」そしてある意味での「リスク」を負うのは当たり前でしょ。でもそういうのを抜きにしての「自由」が横行しているよね。
世間に名前を売って生きてる芸能人は、「自分は世間からいつボコボコにされてもおかしくない憎まれ者だ」って意識を持ってなきゃダメなんだよ。
親父にできるのは、いつか子供が挫折した時に、それでも生きていけるタフな心を育ててやること。小さい頃から負荷をかけてやること。子供の心を傷つけることを恐れちゃダメなんだよ。
「体罰反対。 何ごとも話し合いで」という理想論もいいんだけど、体罰教育をしなかった結果どうなったかというと、教師やオヤジなどの大人を怖がらないどころか逆にナメきるだけのガキになってしまって、ついには教師もオヤジも子供からブッ飛ばされるという世の中になってしまったんだよ。
近所のつながりが薄れれば他人の目を意識しなくなって、自分の「品格」すら気にならなくなる。そんな悪循環が起こっている。
何も無くていいんだ。人は生まれて、生きて、死ぬ、これだけでたいしたもんだ。
映画監督なんてのは、自分の身に染みついたものしか撮れないんだよ。
俺はやっぱり、人間が生きていくことって重荷でしかないと思うんですよ。(中略)神という存在を利用してそれを取り払ってしまおうというのは、反則じゃないかな。宗教に入って楽になろうということ自体インチキ臭い。
芸能人なんて、世間に顔が知られてるだけで一般の人たちにとってみりゃ「心の底では腹立たしい存在」に決まってる。人気があって、女にモテて、それでカネまでもらいやがってってね。そんないけ好かないヤツが一度スキャンダルを起こせば、そりゃ叩くヤツは大勢いるよ。
未来というのは結局この一瞬一瞬の積み重ねなんだ。この今の延長に未来がある。遠い未来もこの瞬間の積み重ねなんだよな。
理解ある父親なんてもんになる必要はない。父親は、子供が出会う人生最初の障害でいいんだ。
最後まで押し通せなかったら、やさしさではない。やさしさは根性です。
まさに「成熟はブームの終わり」で、すべてのエンターテインメントってのは、技術が上がれば上がるほど食えなくなるという矛盾と戦っていくしかないんだよな。
昔は、日本人には「降りる」っていう美意識があったんだけどね。五人集まって、四つしかお菓子がなかったとき、俺いらないよって先にいう誰かが必ずいたんだよ。ところがいまや、五人が五人、あわよくば一人で二個も三個も食おうって時代になっちゃった。日本の文化自体がおかしくなってるんだねえ。
いつも不安で不安で仕方がない。おれほど臆病者はいない。開き直らないとむちゃできない。
金持ちであることの「後ろめたさ」みたいなものが、成功した人の品格を作る。
正直、今の若手(芸人)のほうがオイラたちの時と比べて技術的にはだいぶ上だと思うんだけど、それが人気や視聴率に比例するかっていうと、そういうワケでもないんだよな。それが“ブーム”ってヤツの怖いところでね。
実は技術的にうまいか下手かというのは人気商売ではあまり問題じゃなくてさ。要は、衝撃的で、新鮮で、もう1回見たいと思えるかどうかってポイントに尽きるんだよ。
世界に何十億と女がいるのに、一人の女に振られただけで、そんなに落ち込んでどうする。もっと素晴らしく、お前を愛してくれる女の子は一杯いる。めぐりあってないだけだ。