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ピーター・ブルック

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ピーター・スティーヴン・ポール・ブルックは、イギリスの演出家、演劇プロデューサー、映画監督である。1925年3月21日生まれ、2022年7月2日没。ロンドン西部に生まれる。大学ではモードリン・カレッジ、高校ではウェストミンスター・スクールを卒業。1946年、最年少招待演出家に抜擢され、1952年には映画『三文オペラ』で長編映画監督デビュー。1960年、『雨のしのび逢い』(脚本・原作マルグリット・デュラス)をフランス資本で監督し、1962年からロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの演出家としても活動した。コンパニオン・オブ・オナー勲章(CH)と大英帝国勲章(CBE)の叙勲者。

劇場とは、見えるものに出会い、それを通じて、見えるものの中に何があるかを感じることができる場所だ。
常に前進し、深く掘り下げ、しかも心をひらいたままでいる、そんなことが可能でしょうか。あるいは心の奥底で先が見えないと感じたら、そこで立ち止まるべきなのでしょうか。劇場は、そのような問いを問い続けるための唯一の場所です。
私に言わせれば、「リア王」こそ不条理演劇のもっともすぐれた作品であり、そして現代劇のよい部分はすべて不条理演劇から由来しているのです。
どこでもいい、なにもない空間──それを指して、わたしは裸の舞台と呼ぼう。ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る、もうひとりの人間がそれを見つめる──演劇行為が成り立つためには、これだけで足りるはずだ。
俳優は自分に理解できることだけを演じるべきではない。それでは、自分の役がもつ神秘性を彼自身の水準まで引き下げることになってしまう。一人ではけっして獲得できなかったあらゆるものを、その役が、俳優自身のうちに探り出す。俳優はそれを妨げてはならない。
私が興味があるのは、シェイクスピアの方法ではない。シェイクスピアの野心なのである。人間と社会の動いている姿を、人間の実存とのかかわりで問い直すという野心。本質と屑とを分かたずに。
演出家が自分の望む結果という点から考えるのをやめ、俳優のなかに真の衝動を生み出すエネルギー源を発見しようと専念するようになるには長い時間がかかる。