これからは、世間や社会に恥ずかしくない様に生きるのではなく、「自分」に恥ずかしくない様に生きる時代である。
礼儀正しさとは他人行儀のことである。
恵まれないときにはじっと耐えるしかない。その耐え方が前を向いたものであれば、やがて新しい状況に適応する能力や感覚が身についてくる。
途中であきらめてしまったのでは、結局、何もしなかったことと同じ結果にしかならない。
他人や社会にどれだけ尽くすことができるかが、その人の「存在価値」を示す。
不遇なとき、不本意なとき、不安なときこそ、未来を信じて、気持ちをぐらつかせないことだ。そのとき得たものが自分の人生の核になる。
貪(むさぼ)っている人々のあいだにあって、患(うれ)い無く、大いに楽しく生きよう。貪っている人々のあいだにあって、貪らないで暮そう。
人の小さな過ちをとがめるようなことをしないこと。過ちはだれにでもあるもので、小さな過ちを鬼の首でもとったような態度で責めるようなことをすれば、人は離れていくばかりである。
人は「ダメだ」と思ったときにダメになるのです。
間違っていたことがわかったら、それを改めるのに何の遠慮もいらない。
今でさえ、すぐにどこかへ消えてしまうのに、今度などと言っていたら、何も実現しない。
マニュアルはそれを身につければいいというものではなく、それを越えるものとして存在している。
つまずくこともあるでしょうし、失敗することもあるでしょう。しかし、それはどんな人にとっても、通過儀礼の一つなのです。