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カール・ヤスパース

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カール・ヤスパースは1883年2月23日にドイツのハイデルベルクに生まれドイツで医師として働きながら、精神病理学を研究した精神病理学者、哲学者、神学者である。1913年に『精神病理学総論』を出したことで知られ、実存主義哲学の代表的論者として現代思想(特に大陸哲学)、現代神学、精神医学の分野に多大な影響を与えた。また、1932年に『哲学』を出版したことでも知られています。

自由な世界のみが平和になることができる。自由な世界は、虚偽を虚偽で打ち負かそうとする無駄な争いを捨てる。
愛することの反対は憎むことではなく無関心であることだ。
平和は自分の足もとから始まる。世界の平和は各国内の平和から始まるのである。指導権をめぐる内政的、精神的な争いから、場合によっては暴力を用いかねないような平和破壊のものの考え方を消し去らねばならない。
内政に平和の破壊があったのでは、外政における平和を可能にできるはずがない。
真実と自由は、虚偽と暴力のように堅く結び合っている。真実さのみが自由な世界を一つに結ぶ。真実さがなければ、自由な世界も消失する。自由と虚偽は互いに排斥し合う。
生命を賭(と)すること、生命を犠牲にすることは、それなしでは人間にふさわしい生を得ることもできず、救いの道を見出すこともできないであろうような、人間にとって必須の条件であるが、それも生命を賭すること、生命を犠牲にすることそのものにではなく、それが理性と愛から出た、人間として生きる上での契機となっている点に、意味があるのである。
平和は自由によってのみ、自由は真実によってのみ、可能である。
犠牲は、超時間的な、超感覚的な、無制限なものと結びついている。それは、たとえ「無駄」であろうと、「無意味」ではない。犠牲は、すべての人間的な事象を超えた神秘を啓示するものである。
過去というものは、人間がいかなる態度をとるべきかを教える力がない。そのことは、人間が自分の回想する過去の光の中で覚醒し、自分自身で決断しなければならないことを意味する。
哲学の本質は、真理を所有することではない。むしろ真理を探究することである。
次の戦争を確信する者は、他ならぬその確信によって戦争の発生を促すことに協力しているのだ。平和を確信する者は、のんびりしているうちに知らず知らず戦争に巻き込まれてしまう。ただ危険を見、一瞬もそれを忘れない者のみが、理性的に振る舞い、その危険を追い払うために可能なことを果たすことができるのである。
すべての信仰にある特徴は、不信仰をしりぞける点である。
生命そのものに対する畏敬というものは、何が何でも生命でありさえすればいいという欲望、生命そのものの神聖さを口にすることで満足してしまう愚かさに、ともすれば変わりやすい。
不真実は本来的に悪であり、あらゆる平和の破壊者である。
生への畏敬は、戦争での殺戮(さつりく)を前にしての戦慄(せんりつ)の中においても、確かに嘘ごとではない。
人間はおのれの任務をやり遂げることによってのみ、自分の生命を聖化することができるのである。
不真実はいずれも、全体主義への道をたどる一歩である。
真理は二人から始まる。
人間への信仰は、人間の存在を可能ならしめる神性への信仰を前提としている。
生命の神聖視は、生命そのものを絶対唯一の意味あるものと見なすようになるのでは、真実なものではなく、偽りもので、生命のあり方の全体にとって有害である。そうなると人間が超越者の位置を占めるようになり、これは事実上信仰喪失の現れである。
希望喪失はすでに敗北の先取りである。人間にできることがなお残されている限り、希望を失うことは許されない。