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新渡戸稲造

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新渡戸稲造は、日本の教育者・思想家である。農業経済学・農学の研究も行っていた。国際連盟事務次長も務め、著書『武士道』は流麗な英文で書かれ、長年読まれている。また、日本銀行の五千円券の肖像としても知られている。新渡戸は、東京女子大学初代学長、東京女子経済専門学校(後の東京文化短期大学、現在の新渡戸文化短期大学)初代校長としても知られている。1862年9月1日に岩手県盛岡市に生まれ、新渡戸家の三男として育ち、医者から英語を習った。

強き人はよく耐える。よく耐える人を強者という。
いかに苦しいことがあってもヤケになるのは短慮の極みである。
勇気を修養するものは、進む方の勇ばかりではなく、退いて守る方の沈勇もまたこれを養うよう心掛けねばならぬ。両者がそろって真の勇気が成る。
逆境にある人は常に「もう少しだ」と思って進むがよい。いずれの日か、前途に光明を望むことを疑わない。
衆の為めに努むるを生命といふなり。死とは何事をもせざるの意なり。己れを棄つるは是れ生命の始(はじめ)なり。
とかく物事には明暗の両方面がある。私は光明の方面から見たい。そうすれば、おのずから愉快な念が湧いてくる。
「正直は最善の政策なり」──正直は引き合うというのである。
真の学問は筆記できるものではない。筆記できる部分は滓(かす)である。真の学問は行と行との間にある。
勇気が人の精神に宿っている姿は、沈着、すなわち心の落ち着きとしてあらわれる。
薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を、我々は分(わか)つことをえない。薔薇は桜の単純さを欠いている。
いわゆる十分の力を出す者に限って、おのれに十二分の力があり、十二分の力を出した者がおのれに十五分の力あることがわかってくる。
小さいとき髪をといてくれるのも、ほかの人がすると痛いが、母親だと痛くなかった。ここに自然な無理のない母の愛がある。
この世には完全無欠の物もなければ、全然無用の品もない。われわれの親にも子にも友人にも欠点があれば、われわれの憎み嫌う人にも長所がある。
名誉は「境遇から生じるもの」ではなくて、それぞれが自己の役割をまっとうに務めることにあるのだ、ということに気づいているのは、ごくわずかの高徳の人びとだけである。
人生の目的は宗教観念がなければ解決できない。
武士道精神は損得勘定をとらない。むしろ足らざることを誇りにする。
ほら吹きと臆病者は、同じ身体の中に宿っている
Be Just And Fear Not.
自分が生まれてきたときより死に至るまで、周囲の人が少しなりともよくなれば、それで生まれた甲斐があるというものだ。
信実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居である。
人間は生まれ育った環境が違うのだから、それぞれの考え方やものの見方が違うのが当然である。その違いを認め合い、受け入れられる広い心を持つことが大切。これが「国際的な感性」である。