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斎藤茂吉

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斎藤茂吉は、明治15年5月14日に山形県の田舎で守谷伝右衛門熊次郎の養子として生まれ、浅草の旅館で斎藤紀一の家にて養子となった。若い時は画家または僧侶を目指していたが、斎藤紀一の助言で精神科医になることを決めた。青山脳病院の院長を務め、アララギの中心人物として昭和前期に活躍。また、長男に精神科医・随筆家の斎藤茂太、次男に精神科医・随筆家・小説家の北杜夫、孫には随筆家の斎藤由香がいる。

己の行く道は間違ってはいない。むろん苦険道であるから時々へたばる時がある。けれども己は歩兵のように歩む。
いささかの為事(しごと)を終へてこころよし夕餉(ゆうげ)の蕎麦(そば)をあつらへにけり
意地には、緊張が伴う。
あたらしき年のはじめは楽しかりわがたましひを養ひゆかむ
ひとごとは冷めたくとも済む。自分に対する考は炎を潜(くぐ)った鉄のようにあらねばならぬ。
実相に観入して自然・自己一元の生を写す。これが歌の上の写生で、写生は決して単なる記述などではない。
あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり
をさなごは畳のうへに立ちて居りこのをさなごは立ちそめにけり
死に近き母に添寝(そいね)のしんしんと 遠田(とおだ)のかはず天に聞(きこ)ゆる