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ソクラテス

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ソクラテスは古代ギリシャの哲学者である。究極の真実を探究し、人間を個人的な身体的な欲望から自由な思考へ導く伝説的な存在である。非常に謎めいた存在であり、彼は一切の著述を行わなかったが、その教えや考えは彼の弟子のプラトンとクセノフォンなどを通して学ばれることになった。

満足は自然の与える富である。
出発の時が来た。我々は我々の道を行く──私は死への道を、君は生への道を。どっちが一層よいかは、神のみぞ知る。
わたしは、耐え忍ぶことによって君たちに勝とう。堅固(けんご)で打ち勝ちがたい相手に突き当たって行く者は、何ものにもせよ、結局は自分の災いを招くために、自分の力を使うことになるだけだ。
疑義は哲学者の感知であり、哲学は疑義に始まる。
死ぬことと、自分の信念とどちらが大事か!
自分がもし他の人々よりも賢いとすれば、それは自分が無知であることを自覚しているからだろう。
人間は自己の監獄の戸を開く権利なき囚人なり。人間は神が召還するまで待つべきであり、自己の命を奪うべきにあらず。
上手に話そうとするからいけないのだ。なあに、靴を注文するとき、靴屋のおじさんに話すように話せばいいのだ。
欲する所最も少なき人は、最も神に近き人なり。
真の悲劇詩人は、同時にまた真の喜劇作家である。
財産や名誉を得ることのみ執心し、己の魂を善くすることに努めないのを、恥とは思わないのか。
人間の最大の幸福は、日ごとに徳について語りえることなり。魂なき生活は人間に値する生活にあらず。
雷が落ちた後には、大雨がつきものだ。
自分を知ることぐらい大切なことはないのだ。(中略)国家にしても、自らの力を知らず、自分よりも強大な国と戦えば、滅びたり、自由を奪われてしまう。
とにかく結婚したまえ。良妻を得れば幸福になれるし、悪妻を得れば哲学者になれる。
豚となりて楽しまんより、人となりて悲しまん。
最も尊重しなければならないのは、ただ生きることではなく、よく生きることである。
自分を知ることぐらい大切なことはないのだ。なぜかといえば、自分を知る人々には自分の益となるものが何であるか分かり、自分にできることとできないことを見分けることができる。
人は誰ひとりとして、自ら悪事を行う者はいない。
贅沢は人為的貧困である。
汝自身を知れ。
我々の祈りは、一般的に言って、祝福のためのものでなければならない。なぜならば、神は我々にとって何が善であるかを最もよく知っておられるのだから。
賢者は複雑なことをシンプルに考える。
他人からされたら怒るようなことを人にしてはいけない。
自分を知ることぐらい大切なことはないのだ。なぜかといえば、(中略)自分のよく知っていることを実行し、必要とするものを手に入れて豊かに暮らし、知らないことは避けて過失を犯さず、しまいには、功成り名遂げて多くの人々の尊敬を受けるようになるからである。
兄弟姉妹は、同一の父母より生まれ、同一の家に成長す。相愛すべきは当然の義なり。動物すら共に成長する者の間には、親しき関係を有する。
私はアテネ人ではない、ギリシャ人でもない、世界市民である。
幼にして謙遜なれ。弱にして温和なれ。壮にして公正なれ。老いては慎重なれ。
ほんの少ししか望まないことが、最高の幸福への接近であると考える。
最も深い欲望から最も恐ろしい憎悪が起きる。
少量をうまくやる方が、大量にまずくやるよりもよい。
吟味を欠いた人生というものは、人間にとって生きるに値しない。
誰も死を味わってないのに、誰もが最大の悪であるかのように決めつける。
悪法も法なり。
私は、魂を良いものにするよう、魂にとって良いことだけをするように、配慮しています。
私が知っているのは、自分が何も知らないということだけだ。
身体のもとが腐っているとしたら、どれだけ食べ物や飲み物があり、また、どれだけお金や権力があったところで、誰も生きがいがあるとは思えないだろう。
自分をよく知らない者は、何をしても失敗し、損をしたりこらしめを受けたりするばかりでなく、やがては誰からも馬鹿にされ、不名誉な一生を送るようになる。
何人も本意から悪人たるものなし。
善人においては、現世にても死後にても、悪は発生せず。
本をよく読むことで自分を成長させていきなさい。本は著者がとても苦労して身につけたことを、たやすく手に入れさせてくれるのだ。
ほとんどの人にとって、自分の時代は面白くないものだ。
すでに知っていることについて問いを立てる必要は無い。しかし、まったく知らないことについては問いを立てることすらできない。それなら真理を知らない我々は、どうやって真理に到達できるのか?
死を恐れるということは、知恵がないのに、あると思っていることにほかならないのだ。なぜなら、それらは、知らないことを知っていると思うことだからだ。
不正を受ける者は、不正を働く者よりも幸福である。
生きるということだって、他のいかなることだって、正義という一大事にくらべれば、二の次だとしなければならない。
真の幸福は外部より受けて生ずるものにあらず。内部の知識と道徳と慣習より生ずるものなり。
ねたみは魂の腐敗である。
懐疑は無限の探求にほかならない。
書物を読むということは、他人が辛苦(しんく)して成し遂げたことを、容易に自分に取り入れて、自己を改善する最良の方法である。
人間は誰でもいつかは必ず死ぬのだ。だから、我々が常に考えなければならないのは、死をまぬがれようとすることではなく、生きられるだけの時間をどうすれば最もよく生きられるかということだ。
真の悲劇家は真の喜劇家なり。
無知を知るは学問の始めなり。
幸福になろうとするならば、節制と正義とが自己に備わるように行動しなければならない。
よりよく生きる道を探し続けることが、最高の人生を生きることだ。
最も大切なことは、生きることそのものではなくて、善く生きること、美しく生きることである。
酒神(バッカス)の杖の捧信者は多けれど、真の酒神信者は少なし。
金持ちがどんなにその富を自慢しているとしても、彼がその富をどんなふうに使うかが判(わか)るまで、彼をほめてはいけない。
「自分についての知識」には、自分をよりよくしようとする努力、実践が必ず伴うはずだ。
猟人は犬をもってウサギを狩り、阿諛者(あゆしゃ)は賞賛をもって愚者を狩る。
唯一の善は知識であり、唯一の悪は無知であることである。
友と敵とがなければならぬ。友は忠言を、敵は警告を与える。
いかなる財宝とくらべようとも、良友にまさるものはないではないか。
自分の魂(精神)をできるだけ優れたものにせよ。
結婚したほうがいいのか、それともしないうがいいのかと問われるならば、わたしは、どちらにしても後悔するだろうと答える。
他の人の書いたものを読んで、自己を向上させよ。他の人が苦労して得たものをそれで容易に得ることが出来る。
生きるために食べるべきであり、食べるために生きてはならない。
人は友を敵にしてはいけない。友は自分に忠言を与えるが、敵は自分に警戒を与える。
すなわち、私の息の続く限り、私にそれができうる限り、知を愛し求めることを止(や)めないであろう。
一番大切なことは、単に生きることではなく、善く生きることである。
悦楽、奢侈(しゃし)──これが諸君の幸福と名づけるものである。だが私は何ものも欲しないこと、それが神々の至福であると考える。
残された時間は短いが、私はこのまま自分の一生を貫き通したいと思う。
我々が皆自分の不幸を持ち寄って並べ、それを平等に分けようとしたら、ほとんどの人が今自分が受けている不幸の方がいいと言って立ち去るであろう。
世界を動かそうと思ったら、まず自分自身を動かせ。
父母に恩を感じないなら、汝の友となる者はいないだろう。
私たちの生きているもとのもの(精神・魂)が乱れ、腐っているならば、生きがいのあるわけがないではないか。
この人間よりも私のほうが賢いに決まっている。なるほど、我々は二人とも、正しいこと、まともなことを何一つ知らぬように見えるが、向こうは、物を知っていると思い込みながら、実は何一つ知らぬのに対して、私はなるほど何一つ物を知らぬが、知っているとは全然思ってもいないのであるから。
四つが裁判官に必要なり。親切に聞き、抜け目なく答え、冷静に判断し、公平に裁判する事なり。
名声は英雄的行為の芳香なり。
食べ物を一番上手に味つけするのは空腹である。
彼は何も知らないのに、何かを知っていると信じており、これに反して私は、何も知りもしないが、知っているとも思っていない。
死はいうまでもなく、肉体からの解放にほかならない。
嘘はいつまでも続かない。
満足は天然の富だ。
魂の探求の無い生活は、人間にとって生きがいの無いものである。
人は食うために生きるのではない。生きんがために食うのである。
汝(なんじ)ら我(われ)に哲学を学ぶべきにあらず。哲学することを学ぶべし。
最も熱烈な恋愛は、最も冷たい週末を有す。
もし私が怒っていなかったとすれば、私はたぶん、お前を殴りつけていたであろう。
富は良心をもたらさない。しかし良心は、富ばかりでなく、望まれるもの全てを、個人にも国家にももたらすのである。
暇な時間は、かけがえのない財産である。
ほかの人々は食わんがために生き、己自身は生きんがために食う。
頭が水に潜っていたときに空気を欲しがったぐらい知恵を欲すれば、君は英知を得るであろう。