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高見順

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高見順は、1907年1月30日に福井県にて生まれた日本の作家である。父は福井県の知事である阪本釤之助であり、実の父とは一度も会っていない。子供の頃からいじめを受けた経験を活かし、作品では孤独や不運に見舞われる人間の描写を行った。『故旧忘れ得べき』で第1回芥川賞候補になり、また日本近代文学館設立に尽力し、初代理事長に就任した。1965年8月17日に肺炎により死去した。

傷ついたのは、生きたからである。
悔いにみちた人生ではあるが、それが私にとって私の人生なのだ。私としては精一杯生きてきた人生である。それと違った人生を、はたして私が持ちえたかどうか。
客観的に私の人生がどうあろうと、私のこの人生しか私にはなかったのだ。人生とは私にとって、私の人生しかないのだ。
悔いにみちたこの人生こそ私の人生で、それ以外に私の人生はありえなかったのだ。
悲しみは いつも真っ直ぐ心に来る
欠点のない人間はないだろう。友人の欠点をとがめ立てていたら、この世に友人というものはないだろう。
生の完全な燃焼が死だ。
ひとを愛するということは、自分を愛するということから始めなければならないのだ。ひとを愛するということは自分を愛するということなのだ。自分を愛することができないものがどうしてひとを愛することができようか。
自分を、違う人間にしうると考え、自分の考えている理想像に近づけることが生長であると考えた。(中略)私というものは、けっきょく、私になりえたということに過ぎない。(中略)私が私になりえたら、大したことではないか。私ははたして私になりえたか。
死については、すでにもう人によって考えつくされている。しかし私なりにやはり考えてみよう。
ぶどうに種があるように私の胸に悲しみがある青いぶどうが酒になるようにわが悲しみよ、よろこびになれ
枯れて 生きる 生きて 枯れる
友人というものは、ただ黙って向かい合って座っているだけでも、自ずと心が暖められる。
この世が人間も自然も幸福に満ちているだのに私は死なければならぬだのにこの世は実に幸せそうだそれが私の心を悲しませないでかえって私の悲しみを慰めてくれる私の胸に感動があふれ胸がつまって涙がでそうになる
女の為に総べてを捧げる、そういうことだって男子一生の快事なのじゃありませんか。