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田山花袋

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田山花袋は、日本の小説家である。1872年(明治4年)12月13日に群馬県(当時は栃木県)生まれた。本名は「録弥」である。足利で丁稚奉公した後、京橋区南伝馬町の有隣堂書店でも勤務した。尾崎紅葉のもとで修行した後、国木田独歩、柳田國男らと交わる。自然主義派の作品を発表し、『蒲団』『田舎教師』などの有名な作品で知られる。また紀行文にも優れた作品を残した。

センチメンタリズムということは、こうありたい、ああありたいと思う願いを誇張して、理想から空想的になって行った形を言うのである。
若い時の墜落はいかようにしても浮かび上がることが出来る。
青年時代の煩悶(はんもん)は要するに、夢のようなものだね、君。青年時代の煩悶には、まだいくらも余裕がある。
毎日掃いても落葉が溜まる。これが取りも直さず人生である。
体が弱くなると、どうしても感情的になる。自分一人の孤独に堪えなくなる。他人にすがるようになる。活発な心境が保てなくなる。
戦場は大いなる牢獄である。いかにもがいても焦っても、この大いなる牢獄から脱することはできぬ。
行く水の流(ながれ)、咲く花の凋落、この自然の底に蟠(わだかま)れる抵抗すべからざる力に触れては、人間ほど儚(はかな)い情けないものはない。
他に才能のない、行く道のない、我が儘(まま)な私にしては、芸術にすがって、どうにかして行くより他に仕方がなかった。それが、その簡単な理由が、その排水の陣を布いた形が、こうして私を長く文壇に残して置いたと思うと、不思議な気がしてならない。
泣いてもらっても、悲しんでもらっても、慰めてもらっても、要するに、その身は独り死ななければならない。
世の中は好いが好いじゃない、悪いが悪いじゃない、幸福が幸福じゃない。
絶望と悲哀と寂寞(せきばく)とに堪え得るる勇者たれ、運命に従う者を勇者という。
今更に感ぜられるのは、境遇につれて変わり行く人々の感情であった。
人間は元来一人で生まれて一人で死んでいくのである。大勢の中に雑(まじ)っていたからって、孤独になるのは、わかり切ったことだ。
(結婚して)半年位経った頃は一番破綻の生じ易い時だという。表には平和を装って居ても、腹ではいろいろな不平が萌(きざ)す。
何でも、断定することはいけない。断定した時、そのものは、既に別なものになっている。
感化は書物よりも生きた人より受けたものの方がぐっと大きい。
どんな生活でも新しい生活には意味があり、希望がある。
何でも空想で考えず、物に当たって活発にやるがよい。その時に出てくる知恵は、空想でこねまわしたものより、ぐっと生々(いきいき)している。
成功不成功は人格の上に何の価値もない。人は多くそうして標準で価値をつけるが、私はそういう標準よりも理想や趣味で価値をつけるのが本当だと思う。
人間は理想が無くっては駄目です。
旅はどんなに私に生々としたもの、新しいもの、自由なもの、まことなものを与えたであろうか。旅に出さえすると、私はいつも本当の私となった。
(島崎藤村)「田山君、死んで行く気持ちはどうだね?」(田山花袋)「誰も知らないところに行くのだから、なかなか単純な気持ちのものじゃないよ」
恋が消えなければ、夫婦の愛情は起こらない。