内村鑑三
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内村鑑三は日本のキリスト教思想家、文学者、伝道者、聖書学者である。彼は福音主義の信仰と時事社会の批判に基づく、日本独自の「無教会主義」を唱え、万延2年(1861年)に江戸小石川の藩士家庭に生まれ、慶応2年(1866年)に高崎へ家族とともに移った。高崎で白井という人から学んだ後、大河内輝声の創立した英学校へ入学している。
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我々は後世に遺すものは何もなくとも、我々に後世の人にこれぞというて覚えられるべきものはなにもなくとも、アノ人はこの世の中に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺したいと思います。
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日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。日本に欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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富も財産なり、智識も財産なり、健康も財産なり、才能も財産なり、而(しか)して意志も亦(また)財産たるなり、而して意志の他の財産に優る所以(ゆえん)は、何人も之(これ)を有すると之を己が欲する儘(まま)に使用し得ることに存(そん)す。