内村鑑三のプロフィール画像

内村鑑三

@01gr39e3m2cp4xpm09s84kv447

内村鑑三は日本のキリスト教思想家、文学者、伝道者、聖書学者である。彼は福音主義の信仰と時事社会の批判に基づく、日本独自の「無教会主義」を唱え、万延2年(1861年)に江戸小石川の藩士家庭に生まれ、慶応2年(1866年)に高崎へ家族とともに移った。高崎で白井という人から学んだ後、大河内輝声の創立した英学校へ入学している。

愛に疑惑なし、最大の真理なればなり。
最悪の平和も最善の戦争にまさる。
家庭は日本人最大多数に取りては幸福なる処(ところ)ではなくして忍耐の所である。
真の愛は悪に対する憎悪を十分に含むものである。仮面的の愛または浅き愛は、悪を憎むことを知らない。けれども深き真なる愛は、かくあることはできないのである。
「後にあるものを忘れ、前にあるものを望む」と罪を忘れ、疾病を忘れ、失敗を忘れ、怨恨を忘れ、神と生命、成功と愛に向かって進まんのみ。
愛に束縛なし、真箇(しんこ)の自由なればなり。
喜びの声を発すれば喜びの人となり、悲しみの声を発すれば悲しみの人となる。
人は希望的動物なり、彼に在(あ)りては前を望むは自然にして、後を顧(かえり)みるは不自然なり。希望は健全にして、回顧は不健全なり。
金を遺(のこ)すものを賤(いや)しめるような人は矢張り金のことに賤しい人であります。
独立とは、自分自身の能力を自覚して、それを現実化することである。
病むものは汝一人ならざるを知れ。
他の人の行くことをきらう所へ行け。他の人のいやがる事(=やりがらない事)を為せ。
一日一生。一日は貴い一生である。これを空費してはならない。
我々は後世に遺すものは何もなくとも、我々に後世の人にこれぞというて覚えられるべきものはなにもなくとも、アノ人はこの世の中に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺したいと思います。
慾(よく)のための愛は、愛にあらず、愛は己(おのれ)の利を求めず。
人を作らんかな、人を作らんかな、人を作って而(しこう)して後の社会を改良せんかな。
自然の自然は自然なり。自然主義者の自然は不自然なり。
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。日本に欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
東洋思想の一つの美点は、経済と道徳とを分けない考え方であります。
貧者(ひんじゃ)の一つの幸福は世が彼の交際を要求しない事である。
平和は平和より来たる。
人は国外へ一歩踏み出すとき、個人以上のものとなる。彼は自分のうちに彼の国家と種族とを携えていく。
戦争は戦争のために戦われるのでありまして、平和のための戦争などとはかつて一度もあったことはありません。
信仰は信仰に由(よ)りて維持するに能(あた)わず、信仰は労働に由りてのみ能(よ)く維持するを得べし、信仰は根にして労働は枝なり。
学は貴し。されども精神の貴きに如(し)かず。
富も財産なり、智識も財産なり、健康も財産なり、才能も財産なり、而(しか)して意志も亦(また)財産たるなり、而して意志の他の財産に優る所以(ゆえん)は、何人も之(これ)を有すると之を己が欲する儘(まま)に使用し得ることに存(そん)す。
愛に恐怖なし、最上の道徳なればなり。
汝(なんじ)貧する時に、先(ま)ず、世に貧者の多きを思うべし。一人にして忍び能(あた)わざるの困難も、万人共にこれを忍べば、忍び易し。
微笑は大なる勢力なり、春の風の如(ごと)し。心の堅氷を解く力あり。
懐疑は思想の過食よりくる脳髄の不消化症なり。
人の生涯は、罪を侵しつつ死を前に望む恐怖の生涯である。罪の苦悶と死の恐怖と、この二つは、人が墓までたずさえ行くべき道づれである。
死魚は流れのままに流されるが、活魚は流れに逆らって泳ぐ。
人生の成功とは、自分の天職を知って、これを実行することである。大抵の場合においては天職は発見されず、また実行されずに、自分の欲しない、また自分に適さないことを為しつつ、その一生を終えるのである。
婦人を遇する道は、その高貴なる品性をはげますにあり、その賤劣なる虚栄心に訴うるにあらず。
一個の我は他の我と常に戦いつつあるものなり。誠に実(まこと)に、此の一生は戦争の一世(いっせい)なり。
真理を証するもの三つあり、すなわち天然と人と聖書。
書を読まざる日は損失の日なり。
恐るべき者は宗教家にあらず、彼らは時代の子なり、神の僕に非ず、彼らは時代の思潮に逆いて何事をも為し得る者に非ず。
貧は自由の伴侶である。束縛は富に伴なう者である。富は人の作った者である。故(ゆえ)に富んで人世の束縛よりは離るる事は甚だ難くある。
競争的進歩は人類一般の損害にして利益に非ず。進歩の如く見えて退歩せり。真正の進歩は愛憐(あいれん)の結果なり。
人の天職を発見するは最も困難である。縦(よ)し又之(これ)を発見したりとするも、之を実行するは是れ亦(これまた)、困難である。