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アリストテレス

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アリストテレスは古代ギリシアの哲学者である。プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンとともに、しばしば西洋最大の哲学者の一人とされる。彼は「知を愛する」ことが人間の本性と考え、それをギリシャ語で「フィロソフィア」と呼んだ。また、マケドニア王アレクサンドロス3世(通称アレクサンドロス大王)の家庭教師であったことでも知られる。彼の業績から「万学の祖」とも呼ばれる。又、動物に関する体系的な研究は古代世界に例を見ない重要な業績を残した。

金のためにする仕事はすべて、心を疲弊させる。
偽りは、それ自体において悪しきもの、非難されるべきものであり、素直さは高貴で賞讃に値する
技術は一方において自然がなしえざることを完成し、他方において自然を模倣す。
愚かな質問をすれば、利口な答えが返ってくるものだ。
徳とは、我々にとっての中庸に成り立つ行為を選択する態度である。
社会生活のできない者、もしくは一人で十分なので社会を必要としない者は、獣か神に違いない。
神すら過去を改めることはできない。
「垣根」は相手がつくっているのではなく、自分がつくっている。
法律ばかりがたくさんあるのは悪政の兆候である。
我々の性格は我々の行動の結果なり。
友情は、愛されるよりは愛することにある。
幸福になれるかどうかは自分次第である。
自己犠牲は美徳の条件である。
人は繰り返し行うことの集大成である。だから優秀さとは、行為でなく、習慣なのだ。
否定にはいつも、対照的な肯定が付き物である。
優れた道徳心は習慣からしか生まれない。私たちは、自分でつくった習慣のようにしかならないのだ。節制している人は節度ある人となり、勇気ある行動を続けている人は勇敢な人となる。
故意だからこそ、罪となり、犯罪とみなされるのである。
物事を学ぶのに、決まった方法はない。
賢人のごとく考え、凡人のごとく語れ。
すべての人間は、生まれつき、知ることを欲す。
ひやかすとは、品よく無礼を働くことだ。
すべての無頼漢は盗人にあらざるも、すべての盗人は無頼漢なり。
勇気は人間の第一の資質である。なぜなら、他の資質の土台となる資質であるから。
深い友情とは、それ自体が目的なのだ。
人はすべて模倣された歓びを感ず。
優秀さは訓練と習慣の賜物である。私たちは美徳と優秀さを持っているから正しく行動するのではない。むしろ正しく行動するから美徳と優秀さを持つ事ができるのである。
愛というものは、愛されることよりも、むしろ愛することに存在する。
幸福は閑暇にこそあると思われる。なぜなら、われわれは閑暇を得るために働き、平和の裡(うち)にすごさんがために戦争するからである。
人に従うことを知らない者は、良き指導者になり得ない。
言論が詭弁であるかどうかは、(言論)技術の働きそのものによってではなく、論者の意図によって決まる。
文体の第一の美点は、明晰なことである。
恥は若者にとって名誉であり、老人には屈辱である
勤勉なる者も怠惰なる者も、人生の半分は大差なし。なぜならば、人生の半分は眠っているからなり。
自己とは自分にとって最良の友人である。
友情とは、二つの肉体に宿れる一つの魂のことである。
普通、人間は機会さえあれば悪いことをするものである。
どんなに小さなスタートであっても、それが全体に与える影響がどれだけ大きいことだろう。そしていったん踏み出してしまえば、後はどれだけ楽になるであろう。
全ての芸術、全ての教育は、単に自然の付属物に過ぎない。
二つの悪のうち、小さいほうを選ぶようにしなければならぬ。
生まれの良い人、権勢のある人、富裕な人は、名誉を受けるに値するとみなされている。だが本当は、善い人だけが名誉を受けるに値するのである。
あたかも金(かね)に繁殖能力があるかのごとく、金に金を生ませるのは、最も不自然である。
人間の行動はすべて次の七つの原因の一つないし、それ以上のものを有す。機会・本性・強制・習慣・犠牲・情熱・希望が、則ちこれなり。
賢者は苦痛なきを求め、快楽を求めず。
人間は誕生の瞬間から支配するか、もしくは支配されるか運命づけられる。
野獣は野獣を知る。同じ羽毛の鳥はおのずから一緒に集まる。
引っ込み思案は、若者には美点になるが、年配には欠点でしかない。
人は単に知っている(という)ことによって知慮ある人たるのではなくして、それを実践しうる人たることによってそうなのである。
人は、最も栄えている時に、大きな不幸に見舞われるものだ。
正義は社会の秩序なり。
普遍的なものにしか学問はない。
誰でも怒ることはできる──それは簡単なことだ。しかし、正しい人に、正しい程度に、正しい時に、正しい目的、正しい方法で怒ること、それは簡単ではない。
美徳は二つの悪徳のちょうど中間である。
真の音楽家とは音楽を楽しむ人であり、真の政治家とは政治を楽しむ人である。
友人がいなければ、誰も生きることを選ばないだろう。たとえ、他のあらゆるものを持っていても。
生きるとはある活動であり、各人はそのもっとも好む事柄に対して、もっとも好む能力を働かせて活動する。これらの活動の愉しみが活動を完成させ、各人の追求する生を完成させるのである。
法は国家の市民が互いに裁判を行うひとつの公約なり。
人生の目的には、レジャー、幸福、知識の蓄積の三つがある。レジャーは幸福と知識の蓄積を得るための必要条件で、人生の究極の目的の一つである。
最大の犯罪は、欲望によらず飽満によりて引き起こされる。
何人にも恩恵を施す者は、他人より愛されるよりも、多く己を愛す。
希望とは、目覚めている人間が見る夢である。
人に従うことを知らない者は、良き指導者になりえない。
友達は第二の自己である。
受け入れずして思想を嗜(たしな)むことができれば、それが教育された精神の証である。
希望は、目覚めている者が見る夢であり、絶望は、眠れる政治家を持つ現実なり。
美の持つ説得力は、いかなる紹介状にもまさる。
片目をつぶされたら、相手の片目をつぶせばよいというのは、間違っている。罪を犯した者は、自分が与えた以上の苦しみをなめねばならぬ。
大事もなしうる者は、小事もなしうる。
幸福を確かなものにするには、美徳では不十分だが、不幸を確かなものにするには、悪徳で十分である。
ハープを演奏することによってハープ奏者になる。それと同じように、私たちは正しい行いをすることによって正しい人間になり、自らを律することによって自制心が身につき、勇気ある行動をとることによって勇敢になる。
完全無欠の政治社会は、中産階級が支配し、他の二つの階級(=有産階級、無産階級)よりも人数においてまさる社会である。
わずかな狂気も交じらない天才はいない。
自然の為すことには、全て意味がある。
人間は本来、社会的な動物である。
希望はある種の白昼夢である。
私は、敵を倒した者より、自分の欲望を克服した者の方を、より勇者と見る。自らに勝つことこそ、最も難しい勝利だからだ。
戦争の目的は平和である。
高潔な人は恩恵を施すことを好むが、恩恵を施されることを恥じる。
一羽の燕が、また或(あ)る一朝夕が春をもちきたすのではなく、それと同じように、至福なひと・幸福なひとをつくるものは一朝夕や短時日ではない。
人は他人に親切を尽くすことに喜びを感じる。しかし他人に親切にされるのを恥ずかしく思う。なぜなら、親切を与えるのは優越の証(しるし)であり、それを与えられるのは劣等の証(しるし)であるからだ。
革命は些細なことではない。しかし、些細なことから起こる。
名高い詩人や芸術家らは、往々にしてメランコリーあるいは狂気である。アイアスのごときはそれだ。しかしそのような素質は、近頃でも、ソクラテスや、エンペドクレスや、プラトンその他多くの人々、ことに詩人の中に認められる。
美なるものの最も重要な姿は、整っていること、釣り合いがとれていること、明確であることである。
始め良ければ半分終わったも同然。
教育の根は苦いが、その果実は甘い。
大抵の場合、富が、優れた人達の許(もと)よりも劣悪な人間の許に多く存するのはなぜであろうか。あるいはそれは、富は盲目である為、人間の心を判別することも、最善なるものを選ぶことも出来ないからであろうか。
まず前もって服従することを学んでいなければ、人に上手に命令することはできない。
手は、道具の中の道具である。
自分が友達に望んでいる通りに、友達には振る舞わねばならぬ。
神と自然は、何一つ無駄なことはしない。
平等を求めるものは、たいてい劣っているもので、低いものほど平等を要求する。また中位の連中は、むしろ、優越を欲して、特権を要求する。しかし、真にすぐれている人は、平等も優越も要求しない。
肉体的快楽は、刺激の強いものであるため、他の快楽を楽しむ能力のない人々によって追求される。
定義は、定めるよりも反論する方がやさしい。
美なるものの最も重要な姿は、整っていること、釣り合いがとれていること、明確であることであり、数学は、何にもましてこれらをこそ表現しているのである。
幸福とは最高の善なり。
快楽は常に来るものと思うな。常に去るものと思え。
人間は、目標を追い求める動物である。目標へ到達しようと努力することによってのみ、人生が意味あるものとなる。
孤独を愛する者は野獣か、そうでなければ神である。
友達がたくさんいるということは、友達が全然いないことである。
宴会と同じように、人生からも、飲みすぎもせず、喉が乾きもしないうちに立ち去るのが一番良い。
運命は性格なり