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土光敏夫

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土光敏夫は、昭和時代の日本のエンジニア、実業家であり、高校を卒業した後、岡山県の名誉県民・市民となりました。東芝の社長兼会長を歴任し、「ミスター合理化」「土光臨調」としても知られる第二次臨時行政調査会を担当しました。また、橘学苑の理事長・校長を創設者の母から引き継ぎました。質素な暮らしぶりで「メザシの土光さん」としても親しまれました。'

人間には人間らしい仕事をさせよ。そのために機械がある。
60点主義で決断せよ。決断はタイムリーになせ。決断すべときに決断せよ。
「カベという問題」を毎日、見つけ、押し、破っていけば、そこに進歩がある。
人生には予期せぬ落とし穴がついて回る。
最大の説得力は実践だ。
仕事には節(ふし)というものがある。仕事の節は一日ごとにつけていきたい。朝職場に入った時に今日やるべき仕事が、もうちゃんと決まっている。それを全部果たすことによって今日の仕事が終わる。仕事を中途半端に残して家路につくいやな気持ちは、誰しも心覚えがあるはずだ。
苦労や困難を一つのチャンスと受け止めて、横着せずにやったことで、体力をつけることができたね。
障害に背を向けず逃げずに前向きに闘って解決していけば、必ずひとつの進歩がある。
どの時代でも、不安のないときはなかった。それを乗り越えてきたところに、努力のしがいがあった。
六十点主義で即決せよ。決断はタイムリーになせ。決めるべきときに決めないのは度しがたい失敗だ。
「面壁九年」。この言葉にあやかり、私は「面壁一生」であってよいと思う。仕事の上であろうと生活の下であろうと、一生かけて毎日のようにカベを見つけて破ってゆくところに、人生の進歩があると信ずる。
会議の要諦は気軽にやることだ、立ったままでも会議はやれる。
人間は百の能力があれば、百二十の働きを要求することによって創造性を高める。精一杯生きる喜びを知る。これがほんとうの人間尊重経営である。
一日一日にけじめをつけていこう。今日のことは、今日やってしまおう。これは、忙しいとか暇があるとかの時間の問題ではない。志の問題である。
必要以上の正確は、時間と経費のロスである。
人間関係の基本は思いやりだと言っとるんだ。
(私たちのまわりには)ごくわずかだが「火種のような人」がいる。自らカッカッと炎を発し燃えている人だ。その人のそばにいると熱気が伝わってくる。職場をグイグイ引っ張っているのは、そんな人だ。
もっと部下に近づけ。声をかけよ。盆栽でもいちばんよいこやしは、持主が毎朝息を吹きかけることだ。
能力は必要な条件であっても、十分な条件ではない。その条件を僕は執念と呼びたい。
問題や摩擦は、組織成長の芽であり、組織が生きて若々しく動いている証拠である。それを前向きに受け止め、建設的に解きほぐしてゆく中でのみ、組織はダイナミックな成長をとげる。
健全な精神にこそ、健全な肉体が宿る。
自信があれば、悪いことでもむしろ積極的に報告し、助言を求めるはずである。
成功は次の成功への呼び水とせよ。失敗は次の成功への足がかりとせよ。この二つの相反する格言は、アフターケアの大切さを指摘している点で、共通の真理なのである。
個人は質素に、社会は豊かに。
もっと部下に近づけ、声をかけよ──幹部は部下に仕事を任せても、部下の行動に気を配り、迷いがあればアドバイスし、困っておれば助け、ためらっているときは励ますといった態度が必要だ。
まず、結論をいえ。理由説明はわしが尋ねてからでいい。
年寄りには年寄りの知恵がある。それは確かだが、若者の邪魔をしちゃいかん。年寄りは若者の邪魔をするようになったと思ったら、さっさと退かんといけない。若い者にまかせれば、ちゃんとやってくれるよ。
人間の能力には大きな差はない。あるとすれば、それは根性の差である。
ぼくらは毎日がいき詰まりだよ。いき詰まらない方が、かえっておかしいとさえ思う。毎日少しずつでも前に進んでいれば、必ずいき詰まる。毎日壁を破れ!
物事を成就させ成功させる力は何か。能力は、必要な条件であっても十分な条件ではない。十分な条件とは、その能力に、機動力、粘着力、浸透力、持続力などを与える力である。そのような諸力を私は執念とよびたい。
計画とは「将来への意思」である。将来への意思は、現在から飛躍し、無理があり、実現不可能に見えるものでなくてはならない。現在の延長線上であり、合理的であり、実現可能な計画はむしろ「予定」と呼ぶべきであろう。
およそ独創的な仕事といえるものは執念の産物であることが多い。
(社員が)遊んでいて金がもらえるような仕組みを放置する経営はむしろ罪悪である。
私は“管理者”という言葉を好まない。管理者はまず自分を管理せよ。そうして、部下のひとりひとりが自分自身の管理者になれるよう、モチベーターの役割を果たすのが、明日の部課長の姿である。
この世の中でいちばん大切なことは、「人間関係」ですよ。
問題を見つけ問題を作り出せ。問題がなくなったとき組織は死滅する。
やるべきことが決まったならば、執念をもってとことんまで押しつめよ。問題は能力の限界ではなく、執念の欠如である。
これからは、ビジネスの中に、宗教が入っていかなければならない時代になったと思う。トップが決断するときに、自社の利益だけを考えて決断したら、エゴむき出しの社会になってしまう。エゴだけではいけない。無私にならなくては、よい決断はできるわけがないのだから、どうしても、宗教が必要になってくる。
よく報告するという行動は、仕事の質を高め、仕事のスピードを早め、成果をあげることに通じるのである。
会議の効果と時間の長さには何の関係もない。問題のポイントはそう多くはあるものではない。肝心かなめの急所を押さえれば、そんなに時間がかかるはずがない。幹部が職場の椅子を長くあけるのは罪悪である。
やり甲斐(がい)、働き甲斐は、やってみてはじめて出てくる。やりもしない、働きもしないで、どうしてそのような喜びが得られるだろうか。生き甲斐にしてもそうだ。精いっぱい生きる努力をして、はじめて生きる喜びを知るのだ。
どんな人にも長所と短所が必ずある。ところが、サラリーマンの会話を聞いていると、短所をあげつらう減点主義が横行している。これでは、人の心を腐食するばかりで職場の活力も失われてしまう。
行動となって現れないような思考は無用であり、時には有害でさえある。
偉い人はつらい人と知れ。
(能力が)50%の人間に100%の仕事を与えよ。それがその人の能力向上にもなるし、進歩にもなる。
人間の価値は、どういう生き方をしたかで決まる。
社長のために会社があるのではない。会社のために社長がいるのだ。
「きょう一日を精一杯生きよう」と、毎朝誓うのが私の人生信条である。
死んだあとのことは引き受けてやるから、死ぬ気でやれ。
前へ進んでいれば必ず行き詰まる。その壁を突き破れ。
能力とは「自信の高さと幅」だといえる。自信を一つ一つ積み上げることが、能力を獲得する道である。執念の欠如する者には、自信を得る機会が与えられない。
できないのは能力の限界だからではない。執念が欠如しているのだ。
時代は激しく変化しているんだ。社会そのものも、それに対応して進まなければならない。
思考と行動は相互作用を積み重ねながら成熟していくもので、その中から生きたアイデアが生まれてくる。行動は思考の芽を育て伸ばす触媒なのだ。
常に「他のやりかたはないか」を考えよ。それを関係部門が共同でやれ。
幸せというのは自分でつくるものだ。決して他人から与えられるものじゃない。
一日一生なんだ。今日一日に全力を尽くす。朝、新しい生命が生まれる。夜、死んでいく。
仕事の報酬は仕事である。そんな働き甲斐のある仕事を、みんながもてるようにせよ。
仕事に困難や失敗はつきものだ。そのようなときに、困難に敢然と挑戦し、失敗に屈せず、再起させるものが執念である。
常に将来へのビジョンを描いておけ。それが人々に希望を植えつける。
完璧を追っている間に時機を失する。時機を失すれば、たとえ百点の案でも五十点の結果になってしまう。逆に好機に乗じ自信を持って行動すれば、六十点の案でもそれ以上の結果を生み出すこともあるのだ。
顔を見たら、コミュニケーションを行え。
制度づくりは百点満点で六十点とれば良い。大事なのは、制度ができた後のやり方だから。あとで、八十点にも百点にもなる。
責任ある仕事が部下を発奮させる。
人間鑑別の秘訣は真剣勝負をくり返すことだ。わしは毎日、人間に会って真剣勝負をしているから、これはどれくらいできるか、これは口ほどにもない男だ、と見分けられる。一種の動物的カンみたいなもので、自然にわかるようになる。
創造的な企業は、必ずビジョンを持っている
会社で働くなら知恵を出せ。知恵のない者は汗を出せ。汗も出ない者は静かに去っていけ。
逆境にめげず、順境に酔わず。
経営は「ああいう風にやれ、こういう風にやれ」と遺言を書いてわたすようにして引き継ぐのはよくない。何もいわなくても立派にやっていける。そういう人間を養成しておくことが大切だ。
最後の責任はトップが取る。幹部は勇気を持て。
考えるより当たれ。体当たりによって生きたアイディアが生まれる。
現場の幹部がその決定をスピーディーに行えないのは、完璧を求めようとするからだ。
物事をとことんまで押しつめた経験のない者には、成功による自信が生まれない。
社員はこれまでより三倍頭を使え。重役は十倍働け。社長はそれ以上に働く。
失敗は失敗ではなく、ひとつの道行き、経験だと考える。人間失敗してはいかんと思うと萎縮する。そうではなく、失敗してもいいんだ。しくじってもよろしい。失敗してもそれを肥やしにして取り返す。前以上に盛り返す。失敗して投げ出してはいけないんだ。
失敗は終わりではない。それを追求していくことによって、はじめて失敗に価値が出てくる。失敗は諦めたときに失敗になるのだ。