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ジャン・コクトー

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1920年代にパリを拠点として活動したフランスの芸術家であるジャン・モリス・ウジェーヌ・クレマン・コクトーは、詩人でもあり小説家でもあり映画監督でもあり画家でもあり評論家でもあり脚本家でもあり、芸術全般を扱って芸術界に多大な影響を及ぼした。彼は小説・詩集・舞台劇などの分野でも重要な作品を残している他、1950年に映画「オリヴィエ・オブ・ジ・ザリエリー」が公開され大反響を呼び、今でも重要な作品とされている。

言うべきことについて、うっかり言い過ぎてしまったことには気がとがめるが、言わなかったことに気がとがめることはまずない。
芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている。
私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして(飼っているうちに)次第に、猫が家の一部に思えてくる。
神童、それは多くの場合非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである。
家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる。この愛らしくも不思議な動物は生き生きとした静けさをかもしだし、王のような気品を漂わせながら悠然とわれわれのあいだを歩きまわり、自分にとっておもしろそうなもの、楽しそうなものを見つけたときのみ足をとめる
青年は決して安全株を買ってはいけない。
幸運はあると信じるしかない。(自分の)好かない人の成功する理由を他にどうやって説明できるだろうか?
神童などという言葉は、家族のつくったものだ。
本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される。
人間は、毎日生まれ変わる。
若いとき旅をしなければ、老いてからの(人に話す)物語がない。
批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類(たぐ)いまれなもの」はそこからすり抜ける。
人は生涯、同一水準の作品しか書けない。
大胆のコツは、どこまで遠くへ行けるかを知ることである。
詩人はいつも真実を話す嘘つきである。
いかなる革命も、3日目から堕落が始まる。
「ツキ」を信じるか、だって? もちろん信じるさ。信じないで、大嫌いな奴が成功したときにどう説明するんだね?
私の耳は貝のから海の響きを懐かしむ