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荘子

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荘子は中国戦国時代の宋の蒙(現在の河南省商丘市民権県)に生まれた思想家であり、『荘子』の著者として知られている。彼は古代中国の大思想家であり、仏教や道教の始祖として知られている。『史記』には、魏の恵王、斉の宣王と同時代の人であるとされている。荘子の精神的功績は華夷思想(漢字では儒釋道からなる)の創造的開拓にあって、そのあとの着実な発展を可能にした。

生は労役であり、死は休息である。
人間がただ学習によってのみ我がものとし、苦しい戦いのうちにおいてのみ勝ち得ることのできるもの──それを私は教養と呼ぶ。
敬を以(もっ)てする孝は易く、愛を以てする孝は難(かた)し。愛を以てする孝は易きも、親を忘るるは難し。親を忘るるは易きも、親をして我を忘れしむるは難し。
駿馬(しゅんめ)は、一日に千里走ることができるが、鼠を捕まえることでは猫にはかなわない。
蝸牛(かぎゅう)角上(かくじょう)の争い。
道を以(もっ)て之(こ)れを観れば物に貴賤なし。
力足らざれば偽り、知足らざれば欺(あざむ)き、財足らざれば盗む。
俗世間にわずらわされず、外貌を飾らず、他人にやかましく文句を言わず、大衆に逆らわないで、ひたすら天下の安寧、人民の生活が豊かになること、他人も我も栄養満点の食生活ができるようにとの願望だけでいっぱい。このようにして心を白(いさぎよ)くする。古(いにしえ)の聖(ひじり)の世の道術(みち)の一面は、この点に発揮される。
畸人(きじん)なる者は、人に畸(き)して、そうして天にひとし。
進んで敢(あ)えて前とならず、退きて敢えて後ろとならず。
面と向かって人を誉めたがる奴は、また陰に回ると悪口を言いたがる。
愚かな人々は、今、自分たちは目が醒めているのだと思いこんでしまっている。それほど、彼らの知識は自分だけのものなのだ。それは国王としてのものもあり、牧夫としてのものもあろうが、いずれにしても、自分自身を頑固に信じている。
管(くだ)を用いて天をうかがい、錐(きり)を用いて地を指すなり。
明鏡止水
驥(き)をして鼠(ねずみ)を捕(と)らしむ。
自然には差別はなく、命は等しい。
不言の言を聞く。
人間の内に誕生の時以来すでに存在し、学習したり獲得したりする必要のないもの──それを私は本性と呼ぶ。
沢辺の野生の雉(きじ)は、十歩歩んでやっとわずかの餌にありつき、百歩歩んでやっとわずかの水を飲むのだが、それでも籠の中で養われることを求めはしない。
好んで面人(まのあたり)を誉むる者は、また好んで背(うしろ)に人を毀(そし)る。
大を用うるに拙(せつ)なり
自分の愚かさが十分わかっている人は、真の愚者ではない。
至人(しじん)は己なし、神人(しんじん)は功なし、聖人は名なし。
国家を損なうものは何か?平俗な者たちが国民を支配して権力を所有する時である。
命長ければ恥多し。
不幸を以(もっ)て平(たいら)にせんとすれば、其(そ)の平や平ならず。
天地に通ずるものは徳なり。万物に行わるるものは道なり。天地いたるところに通じ、万物の間に余すところなく行われるものが徳と道である。
我貴しとて人を慢(あなど)ること勿(なか)れ。我智ありとて諫(いさ)めを拒むこと勿れ。
井蛙(せいあ)は以(もっ)て海を語る可(べ)からずとは、虚に拘(とらわ)るれば也(なり)。
大人(たいじん)は己(おのれ)なし。
一を知って、二を知らず。
自らその適を適とする。
真面目であることには弱点もある。一言でいえば、視野の狭さ、ワンパターンの発想、それに融通がきかないので、さまざまな情況に柔軟に対応できないことである。
君子の交わりは淡きこと水のごとく、小人(しょうじん)の交わりは甘きこと醴(あまざけ)のごとし。
無用の用
雕琢(ちょうたく)して朴(ぼく)に復(かえ)る。(漢語表現)彫琢復朴
その生や浮かぶがごとく、その死や休(いこ)うがごとし
窮するもまた楽しみ、通ずるもまた楽しむ。楽しむ所は窮通に非(あら)ざるなり。
人間の本性は邪悪である。にも関わらず善良であるとすれば、それは教養の成果である。
人みな有用の用を知りて、無用の用を知るなきなり。
人為(じんい)で天下を治めようとするのは、海や河を歩いて渡ろうとし、蛟(みずち)に山を負わせようとするものである。
五十にして四十九年の非を知る。
かの死者もその始めに生をもとめしを悔いざるを知らんや。
大いなる知は閑々(おっとり)と落ち着き、小さき知は問々(あれこれ)と気を配る。
狗(いぬ)は善く吠ゆるを以(もっ)て良(よし)と為さず、人は善く言うを以て賢と為(な)さず。
聖人なる者は天地の美に基づきて万物の理に達する
徳を以(もっ)て人に分かつ、之(これ)を聖と謂(い)う。財を以て人に分かつ、之を賢と謂う。