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一休禅師

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一休宗純は、室町時代の臨済宗大徳寺派の僧で、母親の出自は不詳だが、後小松天皇の官女と伝えられ、京都の安国寺で6歳で入門・受戒した詩人。早くから詩才に優れ、応永13年(1406年)に漢詩『長門春草』、応永15年(1408年)に漢詩『春衣宿花』を作って有名になりました。'

今日は今日にまかせ、あすはあすにまかせれば、苦もなくまた楽もなし。
大丈夫、心配するな。なんとかなる。
ゆくすえに、宿をそことも定めねば、踏み迷うべき道もなきかな。
水を捨てよ、器を去れ、無我になれ、無心になれ。
金銀は 慈悲と情(なさけ)と 義理と恥身の一代に 使うためなり
極楽は十万億土はるかなりとてもゆかれぬわらじ一足
本来もなきいにしへの我ならば死にゆく方も何もかもなし
自分の人生は自分一代のものなのだ。
夫(そ)れ人間あり様、万事とどまる事なし。もとより生(しょう)のはじめを知らざれば、死の終(おわり)をわきまへず。やみやみ茫々ととして苦(くるしみ)の海にしづむ也。
元の身は元の所へかへるべしいらぬ仏をたのびばしすな
たとえば人の父母は火うちの如し。かねは父、石は母、火は子なり。
世の中に寝るほど楽はなきものを浮世の馬鹿が起きて働く
この浄土というは、いずくなれば、我が心のうちにあり。
生ある者は必ず死あり、平生臨終の時と思わば臨終の時は平生なり。
門松(かどまつ)は 冥土(めいど)の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし
くもりなき一つの月をもちながら浮き世の雲に迷ひぬるかな
世の中は 食うて はこ(=便)して 寝て 起きて さてその後は 死ぬるばかりよ
生まれては 死ぬるなりけり おしなべて釈迦(しゃか)も達磨(だるま)も 猫も杓子(しゃくし)も
ナルヨウニナル シンパイスルナ