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糸井重里

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糸井重里は、日本のコピーライター、エッセイスト、タレント、作詞家であり、株式会社ほぼ日代表取締役社長、フィールズ株式会社社外取締役でもある。群馬県立前橋高等学校を卒業し、バンドを組みたくなり、10台のオルガンやピアノを販売するなど、稼ぐためのサイドワークをした。有名人である樋口可南子の妻でもある。

嫌いのなかには、好きの可能性があるものです。
よい敵の、よいプレイがあるからこそ、自分たちのよい試合が完成する。
いい結果がだせたら、自信がなかったとしてもオッケーだし、いくら自信があっても、結果が出せなきゃ稼げない。意味ないんです、自信なんて。
人は、何かを簡単に言っているときに、いちばんウソをつきやすい。人は、何かをむつかしく言っているときに、そのものごとから逃げていることが多い。
お互いの違いを、うーんと珍しがっていいんですよ。相手を珍しいと思う場合、相手にもこっちが珍しい。
僕は小さい夢ほどいいと思っている。本気になれるから。夢が大事なんじゃなくて、本気が大事なの。「世界一の大金持ちになる」って言ってる限りは、風の中に出て行かなくて済む。遠すぎるから。
みんな、夢というのを設計図だと思い込んでいる。でも設計図なんて描(えが)けっこない。知識がないんだから。空を飛びたいなって思った時に、飛行機の設計図はかけない。だったらまず、「空を飛びたいってなんで思ったのか?」と問いかける自分が作れるかどうかが大事。「本気か?」と問いかけたときに「嘘だった」と気づくと、ほんとに面白くなる。夢よりも、今いる位置での問いかけのほうが、やれることも、イメージできることも増やしてくれる。
「こいつといっしょに、幸せになろう」とか、「こいつに幸せにしてもらおう」というよりも、「こいつとだったら不幸になっても後悔しない」という相手とめぐりあえたら、最高なんじゃないかなぁ。これは、一見ネガティブな考えに思えるかもしれないけど、いちばん強い絆なんじゃないかなぁ。
最初に直感で「嫌だ」と思ったことはあとで「すごく好き」になることがあります。たとえば、にがうり、にんじん、個性のある歌手の歌声。
人は、運について考えるのが大好きです。そういえば、ぼくも運のことを考えるのが好きです。しかし、よくよく考えたからといって、運がよくなるというものでもないようです。
努力なしに何かできることは、どうやらありえない。
まつがわれたことばが、使いにくい道具のようなものだったということが多い。使いにくい道具をうまく使えないのは、使う人間のせいではない。
自分が薦めたい商品ならいい。でも、もっと改善できるはず、なんて思ってしまうと、納得して商品を語れない。だからコピーライターはやめました。
「世話するもの」がいると、しっかりするものだなぁ。
影が見えるということは、光が射していればこそのことなのだ。
努力をしたからといって胸を張るようなことは、やっぱり好きじゃない。努力そのものに価値があるとは、やっぱり思えない。
「バカになれる」ということが、「バカにならない」ことと同じように、人間には大切なことだと思います。
「自信ないとかあるとか、言ってられない」、そういう経験をしているうちに、自分が変わったんです。自信がある、とか、自信ない、とか、ほんとに、どうでもいいことなんですよね。
公私混同が上手にできている人は、楽しくいい仕事ができる。
「おかしくなっちゃった」と他人に思われるくらいのことでないと、新しいことなんかできやしないのだ。
私はワタシと旅に出る。
(感動による)泣きたがりは、暑がりや寒がりと同じです。うるさく泣くのはマナーに反します。
立派なものは最初から急に出来る。
誰でもできるかもしれない仕事を与えられたら、そのときこそ、誰にもできない仕事にしてやろうと思いなさい。
常に自分が出来ることより少し難しいことをやって、常にしんどいと思っていないと、出来ることしかやらない屑人間になってしまう。
視線の当て方で、人と違うものが見えたりしたら、それは価値を呼んでしまう。
エルメスにキャッチコピーはない(=存在しない)ですよね。よいコピーをつくることと、売れるものをつくることは別。よくないものをコピーで売るなんて、やめたほうがいい。
「秘訣」と思われていることのなかには、単なる思いこみや自己満足でいっぱいです。
得意なことをしてるときには、幹と根がしっかりしている。
自分のやっていることに「飽きる」というのは力なんだと!うまくできていることにさえ飽きるから、こそ、失敗さえも覚悟して冒険に飛び込んでいけるわけです。「飽き力」が、生き生きした日々をつくるんじゃないか、と。
「よく泣く人ほど愛が深い」なんてことは絶対になく、「泣かせる作品は、いい作品」ということもありません。
相手が言っていることの中身よりも、それが善意に基づいているのか悪意なのかだけを考える。
寒いときにでも、寒いねぇと言い合える人がいると、寒さが笑いになったりもする。
あらゆる不公平のなかに、チャンスがある。
人をモノとして扱った人は、自分がモノになっている
自分のじゃまをするやつとは、たいてい自分なのだ。
過剰に何かが欠けているのも才能のうち。
自分にとって、ほんとうに大事なことってなんだろう。自分にとって、ほんとうに大切な人って誰だろう。このふたつを、本気で思っているだけで、いい人生が送れるような気がする。
サラリーマンという仕事はありません。
惚れさせなきゃ、君は自由になれないんだ。
嫌いなものは捨てずに要注意。
(その人にとって)つらくなることがないほうが、その人らしく生きられる。
お客さんは、何が欲しいのか、わかっていないことも多い。だから、つくり手から提示する。自分に問いかけ、売れるに決まっているものを探すんです。
「忙しい」って、結局何かに使われている状態ですよ。
答えを知っておきたい問題はいろいろあるでしょうが、その問題のまっただ中に入りこんでいる人は、そんなこと、考えたり論議してたりしてないんですよね。
「孤独」を知らない人間というのは魅力がない。
やり始めないとやる気は出ない。