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岩崎弥太郎

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岩崎弥太郎は日本の実業家であり、三菱財閥(現:三菱グループ)の創設者である。1835年1月9日、高知県安芸市井ノ口甲一ノ宮に生まれる。岩崎家は甲斐武田家の当主武田信光の五男の子の岩崎貞隆(五郎貞経)が甲斐国山梨東郡(東山梨郡)岩崎(現・山梨県甲州市勝沼町)を本拠にし、家紋も武田菱に由来している。関ヶ原の戦いでの功が認められた山内氏入国後は山野に隠れて農耕に従事し、江戸中期に郷士として山内氏に仕えた。天明の大飢饉で一揆が起きるなど混乱し、弥太郎の曾祖父の代に郷士の資格を売り、地下浪人となった。

樽の上からすくって飲むやつは、たとえ一升飲まれても、三升飲まれてもたいしたことはない。怖いのは樽の底から一滴でも漏ることだ。
創業は大胆に、守成には小心なれ。
奉公至誠の赤心は寸時も忘るべからず。勤倹身を持し、慈恵人を待つべし。
自信は成事の秘訣であるが、空想は敗事の源泉である。故(ゆえ)に事業は必成を期し得るものを選び、一旦始めたならば百難に撓(たわ)まず勇往邁進して、必ずこれを大成しなければならぬ。
酒樽の栓が抜けたときに、誰しも慌てふためいて閉め直す。しかし底が緩んで少しずつ漏れ出すのには、多くの者が気づかないでいたり、気がついても余り大騒ぎしない。しかし、樽の中の酒を保とうとするには、栓よりも底漏れの方を大事と見なければならない。
部下を優遇し、事業上の利益は彼らに分与すべし。
機会は、人間一生のうちに誰でも、一度や二度は必ず来るものである。それをとらえそこねると、その人は一生立身できない。
およそ事業をするには、まず人に与えることが必要である。それは、必ず後に大きな利益をもたらすからである。
機会は魚群と同じだ。はまったからといって網をつくろうとするのでは間に合わぬ。