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ヘンリー・デイヴィッド・ソロー

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ヘンリー・デイヴィッド・ソローは、アメリカ合衆国の作家・思想家・詩人・博物学者で、出身はマサチューセッツ州コンコード市、学歴はハーバード大学を卒業しています。若くして兄とのボート旅行をまとめた随想である処女作『コンコード川とメリマック川の一週間』(1849年)があり、その後1854年に『ウォールデン 森の生活』を出版しました。『ウォールデン 森の生活』の思想は後の時代の詩人や作家に大きな影響を与え、今もなお多くの人々を感銘を受けています。

贅沢と慰安に関しては、最も賢い人々はつねに貧乏人よりもっと簡素で乏しい生き方をしている。
この世界は、我々の持つ想像力のキャンバスにすぎない。
道徳とはよいだけでなく、何かの役に立つ。
音楽は音の結晶である。
地球は死んだ歴史の断片ではなく、生きた詩だ。
我々はどうしてこんなに先を急ぐのだろうか。どうしてこんなに暴走するのだろうか。人と歩調の揃わないのは、行進曲の調子が自分に合わないせいかも知れない。どんなリズムであろうと、どんなに遠くで演奏していようとかまわない。自分に合った音楽が聞こえるところまで足を踏み出そう。
文明人とは、非常に経験の積んだ、非常に賢い野蛮人のことだ。
よりいっそう愛するよりほかに、恋に対する治療法はない。
単純化、単純化、単純化せよ!物事は二つか三つ考えればよい。百や千では多すぎる。百万でなく半ダースで十分だ。
金のために働く人間を雇うな。その仕事を愛するがゆえに働く人間を雇え。
我々はいずれ死ぬ運命にある。しかし真実を扱うことにおいては、我々は不死であり、変化も偶然も恐れる必要はない。
人生は些事(さじ)で浪費される。
人生は、地球上で過ごした年数で測られるのではない。どれだけ楽しんだかで測られるのだ。
忙しいだけでは十分ではない。問題は何(なに)で忙しいかである。
真理を語るには二人が必要だ──一人は話すために、一人は聞くために。
自分の仕事に、自分の言葉に、そして友人に正直であれ。
支配することが最も少ない政府が、最良の政府である。
私は大部分の時を孤独で過ごすのが健全なことであるということを知っている。最も善い人とでも一緒にいるとやがて退屈になり散漫になる。私は独りでいることを愛する。
善行について言えば、それは一人の人間にとって手一杯の仕事である。わたしはこの仕事にかなり励んだ結果、奇妙に聞こえるかもしれないが、自分の気質に合わないことを発見した。
単純にしたまえ、単純に。
太鼓の音に足の合わぬ者を咎(とが)めるな。その人は、別の太鼓に聞き入っているのかもしれない。
あなたの人生をシンプルにすると、宇宙の法則がよりシンプルになります。孤独は孤独ではなくなり、貧乏は貧乏ではなくなります。そして弱さが弱さではなくなるのです。
人が社会道徳とか親睦と呼ぶものは、一般に体を寄せ合って暖をとっているブタの兄弟の道徳にすぎない。
楽しみに金のかからない人が最も幸福である。
私の生涯において、郵便料金に値する手紙は一つか二つだった。
人が自分自身をどう思うかで、その人の運命は決まる、というより示される。
善良さは決して裏切られることのない唯一の投資である。
自分の心に描く夢の実現に向かって努力する時、普段なら思いもよらぬ成功が得られる。
勤勉だけが取り柄なら蟻と変わるところがない。なんのためにせっせと働くかが問題だ。
どのチャンスも、一度しか巡ってこない
真の友情は、本当の事を教えられるという事である。友情は、盲目と無知の中には存在しないのだ。
一日の質に影響を与えるような工夫は、最高の技術だと言える。
友を探し求める者は不幸である。なぜなら、真に忠実な友はただ自分自身なのだから。
新聞を読まない人は幸福である。なぜならば、彼らは自然に目を向け、それを通じて神を見るからである。
お世辞を言うのはたやすいが、真に賛美するのは難しい。
諸君の内なるすべての新大陸と新世界とのためのコロンブスとなり、貿易のではなく、思想の新しい航路を拓きたまえ。
恐れるということほど、恐るべきものはない。
書物は、それが書かれたときとおなじように思慮深く、また注意深く読まれなければならない。
あらゆる世俗の知恵は、かつて何人かの賢者が唱えた、とっつきにくい所見を修飾したものである。
己の魂の資産を改善する時間を有するものは真の閑暇を享楽する。
すべての不幸は、未来への踏み台にすぎない。
ぶらぶら歩きは生きるための偉大な技術である。
真の人間、世にいう、「堅い背骨のある人間」が欲しいものだ。わが国の人口統計は過大に報告されている。この国土の千マイル四方に、何人、真の人間がいるというのか!
空中に楼閣を建てても無駄骨には終わらない。楼閣は空中に建てるものだ。さあ、その下に土台を建てよう。
信ずるところに従って生きなさい。そうすれば世界を変えることができます。
金持ちの屋敷の窓からも、救貧院の窓からも日差しは同じように反射してきらめいている。救貧院の戸口の前の雪は、春が来ればたちまち溶ける。
貧しくとも、君の生活を愛したまえ。
家に終始いることは精神病の一種を育む。この意味では、どんな家も病院だ。
たとえ善意と協調と思いやりの限りを尽くしても、まだ友情と呼ぶには十分ではない。友人同士は、世間の言うように単に調和(ハーモニー)だけに生きるものではなく、(互いの)メロディーに合わせて生きるものであるからだ。
世間の意見がいかに乱暴なものでも、自分自身の意見の振るう暴力に比べれば、ものの数ではない。自分自身をどう考えるかによって人の運命は決定される、あるいは暗示される。
人間は自ら作り出した道具の道具になってしまった。
ひとりの徳行ある者には九千九百の美徳のパトロンがいる。
人の人生で最大の悲劇は、生きてはいても、彼の内部で何かが死んでいることだ。
人間の精神世界には、自ら探検していない、幾つもの大陸があり、海がある。
人は成功するために生まれるのであって、失敗するためではない。
一番快感のあるものに金のかからないような人間こそ、最も富める者である。
君が夢見る方向へ自信を持って進みなさい。そして、君が想い描いた人生を生きなさい。
悪の葉っぱに斧を向ける者は千人いても、根っこに斧を向ける者は一人しかいない。
細部を気にしていると、人生は少しずつ浪費されてゆく。心を素直にすれば、両手の指十本でたいていのことは足りる。それでも足りない時は、両足の指を加えて、あとは一まとめにすればよい。
自分の夢に向かって確信を持って前進し、思い描いた人生を生きるように努力するならば、普通では考えられないような成功を手にする。
すべて新しい着物の必要なる事業には気をつけよ。
ひたすら生き、仕事をする。周りに気を配るのはそれからだ。
真に善きものはすべて廉価であり、有害なものはすべて高価である。
私は人生をあるがままに楽しむ。たとえ救貧院に住んでいても、楽しい、胸が躍(おど)る、輝かしい人生が送れるはずだ。夕日は富豪の大邸宅からも救貧院の窓からも、輝かしく照り返す。
物が変わるのではなく、我々が変わるのである。
人生の多くの贅沢といわれる慰安の多くは、人類の向上に対する不可避的な障害のみならず、人間的な障害でもある。
単に給料をもらうために、壁の向こう側に石を投げ入れ、それをまた投げ返す仕事をしないかと言われたら、ほとんどの人は、侮辱されたと感じるだろう。ところが、今、多くの人々は、そんな仕事よりましな仕事を与えられていないのだ。
我々は友人に食事や衣服や健康の心配をしてもらおうとは思わない──そうしたことは隣人たちでもやってくれるだろう。これと同様の務めを、我々の魂に対して果たしてほしいのだ。
わたしの唯一の義務。それは、常に、私が正しいと思うことを行うことである。
我々は聞いてもらうよりも、話すことのほうに熱心である。
けだし自由というものは、中身の多い滋養豊富な食物、あるいは強くて良い葡萄(ぶどう)酒のようなものであって、そういう飲食物はそれに慣れている丈夫な体質を養い強めるには適しているけれど、そういうものには合わない繊弱(せんじゃく)な体質に対しては、これを圧し滅ぼし、酔いつぶしてしまう。
友人のために私がしてあげられる一番のこと、それは、ただ友人でいてあげること。
恋は炎であると同時に光でなければならない。
自分自身に満足していない人間に、いったい何ができるっていうんだい?
人生の大半は生活のために金を得るためであると思い込むのは、救いようのない馬鹿者である。
自分の足で立っている者は、決して孤立していない。
物事が変わるのではない。私たちが変わるのだ。
成功を求める時間もないほど忙しい人のところへ、成功は訪れる。
熱意を失ってしまった人ほど年老いた人はいない。
四季は、それぞれの季節がくれば、いつも私たちにとって一番よい。
ビロードのクッションに大勢で座らされるよりも、カボチャに座って独り占めした方がいい。
何より大事なことだが、我々は現在にしか生きられないのだ。過去を顧み、人生の一瞬たりとも無為に過ごしたことはなかったと言い切れる者は、最も幸福な人間である。
どこから見ても確かな格言は、千のうち一つしかない。
詩は真理の全体を包含し、哲学はその部分を表現する。
愛よりも、金よりも、名声よりも、我に真実を与えよ。
私は船室におさまって航海することを好まず、人生のマストの前、甲板の上にあることを欲した。
自分の知識をひけらかしてばかりいたら、成長にとって必要な自らの無知を自覚することなど、どうしてできるだろうか。
人間は自己の幸福の工匠(こうしょう)である。
結局、人は狙ったものしか射止めることができない。
パンを得んがために純粋無垢を失うよりも、餓死に甘んじるほうが人間にとってましである。
一般に友情などと呼ばれるものは、ごろつきの間なら、多少相手から尊敬されるという程度のものにすぎない。
真に素晴らしい本は内容以上のことを教えてくれる。その本を置き、仕入れた知恵を試したくなる。読むことで、行動せずにいられなくなるのだ。
今こそ好機逸すべからず。君は現在に生き、あらゆる波に乗って船出し、各瞬間に永遠を見出さねばならない。
大多数の人間は、静かな絶望の生活を送っている。
文章の一つの大切なルールは、真実を語ることである。これが第一に大切なことであり、第二に大切なことであり、第三に大切なことである。
偏見を捨てるのに、もう遅すぎるなんてことは決してない。
細部を気にしていると、人生は少しずつ浪費されてゆく。
自分の心から好きなことをやれ。自分の骨の味を知れ。かみしめよ。地面に埋めよ。掘り出してもう一度かみしめよ。
(他人の)人生に影響を及ぼすこと──それは最高の芸術である。
もっとも謙虚な人々でも乗り越えることができない障害というものは、ほとんど存在しない