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夏目漱石

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夏目漱石は日本を代表する作家である。明治末期から大正初期にかけて活躍し、今日に通用する言文一致の現代書き言葉を作った近代日本文学の文豪のうちの一人である。また小説『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『三四郎』『それから』『こゝろ』『明暗』などの名作も誰もが知るようになっている。学問のみならず俳句も学び、講演録に「私の個人主義」など格調高い思想を代表するものを書いた。

道徳に加勢する者は一時の勝利者には違いないが、永久の敗北者だ。自然に従う者は一時の敗北者だが、永久の勝利者だ。
実地を踏んで鍛え上げない人間は、木偶(でく)の坊と同(おんな)じ事だ。
臭いものの蓋を除(と)れば肥桶(こえだこ)で、美事な形式を剥(は)ぐと大抵は露悪になるのは知れ切っている。
ナポレオンでもアレキサンダーでも、勝って満足したものは一人もいない。
人間の定義を言うと、ほかに何にもない。ただ入(い)らざることを捏造(ねつぞう)して自ら苦しんでいる者だと言えば、それで充分だ。
結婚は顔を赤くするほど嬉しいものでもなければ、恥ずかしいものでもないよ。
人間はね、自分が困らない程度内で、なるべく人に親切がしてみたいものだ。
私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代わりに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己れとに充ちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わなくてはならないでしょう。
(雲雀(ひばり)は)のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、又鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀は屹度(きっと)雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句(あげく)は、流れて雲に入(い)って、漂うているうちに形は消えてなくなって、只(ただ)声だけが空の裡(うち)に残るのかも知れない。
吾人(ごじん)は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果、不自由を感じて困っている。
表面を作る者を世人は偽善者という。偽善者でも何でもよい。表面を作るという事は内部を改良する一種の方法である。
他の親切は、その当時にこそ余計なお世話に見えるが、後になると、もういっぺんうるさく干渉してもらいたい時期が来るものである。
義務心を持っていない自由は本当の自由ではない。
夫婦は親しきを以(もっ)て原則とし、親しからずを以て常態とす。
人間は閑適の境界に立たなくては不幸だ。
教えを受ける人だけが自分を開放する義務を有(も)っていると思うのは間違っています。教える人も己(おの)れを貴方(あなた)の前に打ち明けるのです。
そもそも恋は宇宙的の活力である。
自分の好きなひとは必ずえらい人物になって、きらいなひとはきっと落ちぶれるものと信じている。
如何(いか)に至徳の人でもどこかしらに悪いところがあるように、人も解釈し自分でも認めつつあるのは疑いもない真実だろうと思う。
智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
人間は角(かど)があると世の中を転がって行くのが骨が折れて損だよ。
吾人(ごじん)の生涯中尤(もっと)も謹慎すべきは全盛の時代に存す。
君は山を呼び寄せる男だ。呼び寄せて来ないと怒る男だ。地団駄(じだんだ)を踏んで口惜(くや)しがる男だ。そうして山を悪く批判する事だけを考える男だ。何故(なぜ)山の方へ歩いて行かない。
金剛石(ダイアモンド)は人の心を奪うが故に人の心よりも高価である。
呑気(のんき)と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。
もし人格のないものが無闇(むやみ)に個性を発展させようとすると、他(ひと)を妨害する。権力を用いようとすると、濫用(らんよう)に流れる。金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。随分危険な現象を呈するに至るのです。
休養は万物の旻天(びんてん)から要求して然るべき権利である。
牛になる事はどうしても必要です。吾々(われわれ)はとかく馬になりたがるが、牛には中々(なかなか)なり切れないのです。
偶然とは、複雑の極致なり。
馬は走る。花は咲く。人は書く。自分自身になりたいが為に。
自分のしている事が、自分の目的(エンド)になっていない程苦しい事はない。
色を見るものは形を見ず、形を見るものは質を見ず。
女はとかく多弁でいけない。人間も猫くらい沈黙であるといい。
私は冷(ひやや)かな頭で新らしい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じています。血の力で体(たい)が動くからです。
金は大事だ。大事なものが殖えれば寝る間も心配だろう。
真面目に考えよ。誠実に語れ。摯実(しじつ)に行え。汝の現今に播(ま)く種はやがて汝の収(おさ)むべき未来となって現わるべし。
恐れてはいけません。暗いものをじっと見つめて、その中から、あなたの参考になるものをおつかみなさい。
平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです。
競争から生ずる不安や努力が、昔より苦しくなっているのではないか。
慰められる人は、馬鹿にされる人である。
恋の満足を味わっている人はもっと暖かい声を出すものです。
男は女を、女は男を要求する。そしてそれを見出したとき、お互いに不満足を感じる。
事が旨(うま)く行って、知らん顔をしているのは、心持が好(よ)いが、遣(や)り損なって黙っているのは不愉快で堪(たま)らない。
嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。
住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画ができる。
運命は神の考えるものだ。人間は人間らしく働けばそれで結構だ。
自己を捨てて神に走るものは神の奴隷である。
心のうちで有難いと恩に着るのは、銭金で買える返礼じゃない。無位無官でも一人前の独立した人間だ。独立した人間が頭を下げるのは、百万両より尊(たっと)い御礼と思わなければならない。
山が来てくれない以上は、自分が行くより外に仕方があるまい。
鏡は自惚(うぬぼ)れの醸造器である如く、同時に自慢の消毒器である。
美的にも、知的にも、そして論理的にも自分ほど進んでいない世の中を忌(い)む。
こっちでいくら思っても、向こうが内心他の人に愛の目を注いでいるならば、私はそんな女と一緒になるのはいやなのです。
青年は真面目がいい。
自己の個性の発展をなしとげようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならない。
世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから、他にも自分にも解らなくなるだけの事さ。
人の肩の上に乗るのは無礼である。且(か)つ危険である。人の足をわが肩の上に載せるのは難儀である。且つ腹が立つ。
自然を翻訳するとみんな人間に化けてしまうから面白い。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか、みんな人格上の言葉になる。
たいていの男は意気地なしね、いざとなると。
結婚をして一人の人間が二人になると、一人でいた時よりも人間の品格が堕落する場合が多い。
倫理的にしてはじめて芸術的なり。真に芸術的なるものは必ず倫理的なり。
到底人間として生存する為には、人間から嫌われると云う運命に到達するに違いない。
ああ、苦しい、今、死にたくない。
凡(すべ)ての創口(きずぐち)を癒合(ゆごう)するものは時日(じじつ)である。
(男には)嫌な女も好きな女もあり、その好きな女にも嫌なところがあって、その興味を持っている全ての女の中で、一番あなたが好きだと云(い)われてこそ、あなたは本当に愛されているんじゃありませんか?
鍍金(めっき)を金に通用させようとする切ない工面より、真鍮(しんちゅう)を真鍮で通して、真鍮相当の侮蔑を我慢する方が楽である。
あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故(ゆえ)に尊(たっと)い。
時代の風潮、自分を取り巻く環境、さまざまな価値観、それらを正しく見きわめ、自分の判断で行動できるのは、どこにも属さない「迷子」だけだ。
自分に誠実でないものは、決して他人に誠実であり得ない。
結婚前の女と結婚後の女は同じ女ではない。
愛は堅きものを忌(い)む。すべての硬性を溶化せずにはやまぬ。
うそは河豚汁(ふぐじる)である。その場限りでたたりがなければこれほどうまいものはない。しかしあたったが最後苦しい血も吐かねばならぬ。
精神的に向上心のない者は馬鹿だ。
全ての夫婦は新しくなければならぬ。新しい夫婦は美しくなければならぬ。新しく美しき夫婦は幸福でなければならぬ。
学問は金(かね)に遠ざかる器械である。
人の世を創ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向こう三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が創った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
人間は好き嫌で働らくものだ。論法で働らくものじゃない。
自らを尊しと思わぬものは奴隷なり。
熊本より東京は広い、東京より日本は広い、日本より……頭の中は広いでしょう。囚(とら)われちゃだめだ。
ただ愛するのよ、そうして愛させるのよ。そうさえすれば幸福になる見込は幾何(いくら)でもあるのよ。
ある人は十銭をもって一円の十分の一と解釈する。ある人は十銭をもって一銭の十倍と解釈する。同じ言葉が人によって高くも低くもなる。
考えてみると世間の大部分の人は悪くなることを奨励しているように思う。悪くならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。たまに正直な純粋な人を見ると、坊っちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。
女には大きな人道の立場から来る愛情よりも、多少義理をはずれても自分だけに集注される親切を嬉しがる性質が、男よりも強いように思われます。
わざわざ人の嫌がるようなことを云ったり、したりするんです。そうでもしなければ僕の存在を人に認めさせる事が出来ないんです。僕は無能です。仕方がないからせめて人に嫌われてでもみようと思うのです。
細君の愛を他へ移さないようにするのは、夫の義務である。
何かに打ち当たるまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。
金を作るにも三角術を使わなくちゃいけないというのさ。義理をかく、人情をかく、恥をかく、これで三角になるそうだ。
人間はただ眼前の習慣に迷わされて、根本の原理を忘れるものだから気をつけないと駄目だ。
愛嬌(あいきょう)と云(い)うのはね──自分より強いものを斃(たお)す柔らかい武器だよ。
前後を切断せよ、みだりに過去に執着するなかれ、いたずらに将来に未来を属するなかれ、満身の力を込めて現在に働け。
離れればいくら親しくってもそれきりになる代わりに、いっしょにいさえすれば、たとい敵(かたき)同志でもどうにかこうにかなるものだ。つまりそれが人間なんだろう。
真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。
最も強い返事をしようと思うときは黙っているに限る。無言は金である。
子供さえあれば、大抵貧乏な家でも陽気になるものだ。
恋は罪悪ですよ。
真面目とは実行するということだ。
四角の世界から常識と名のつく一角を摩滅して三角のうちに住むのを芸術家と呼んでよかろう。
どうしたら好(よ)かろうと考えて好い智慧(ちえ)が出ないときは、そんな事は起こる気遣(きづかい)はないと決めるのが一番安心できる近道である。
私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼等何者ぞやと気概が出ました。
香を嗅ぎ得るのは香を焚き出した瞬間に限る如く、酒を味わうのは酒を飲み始めた刹那に有る如く、恋の衝動にもこういう際どい一点が時間の上に存在しているとしか思われないのです。
ああ、ここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた!こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事が出来るのでしょう。容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともに、むくむくと首をもたげて来るのではありませんか。