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ジョン・スチュアート・ミル

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ジョン・スチュアート・ミルは、1806年5月20日にイギリスの哲学者であり、政治哲学者、経済思想家でもありました。彼は自由主義・リバタリアニズム のみならず、社会民主主義の思潮にも多大な影響を与えました。長男としてロンドンでジェームズ・ミルのもとに生まれ、厳格な父親によって教育を受けました。また、ベンサムやフランシス・プレイスとも親交が深かったと言われています。

人生の色々な楽しみは通りすがりに味わうときに、人生を楽しくしてくれるが、一旦それを人生の目的とすると、とたんに物足りなくなる。
自己教育の真の方法は、すべてのことを疑ってみることである。
人生の楽しみではなく、喜びを求めていこう。
自分と異なる人間と接することの価値、なじみのない思想や行動様式に出会うことの価値は、どんなに高く評価してもしすぎることはない。かって、このような出会いの機会といえば、主に戦争だったが、いまは通商なのである。
存在するすべてのものは独創の結果である。
自分の胸に「いま、幸せか?」とたずねたら、途端に幸福ではなくなってしまう。
保守主義者が常に愚かであるとは限らないが、愚者の最たるものは決まって保守主義者である。
死後に残す人々の運命を、自分自身の運命と感じ得る能力が欠如している者ほど、また利己的にのみ生きてきた、利他の喜びを実感した経験のない者ほど、老年に至って自分自身の快楽がゼロに近づくに及んで、いよいよ利己的な形における生命の存続を妄執するものである。
人間の自由を奪うものは、暴君でも悪法でもなく、社会の習慣である。
真実が持つ真の利点は、次のようなことである。ある意見が本当であっても、一回、二回、もしくは何回も葬り去られるかもしれない。しかし時間が経つにつれ、それを再発見する人が現れるものだ。
真理はつねに迫害に打ち勝つという格言は、実際、あのほほえましい虚偽にすぎない。つまり、人から人へと口真似されて、ついには決まり文句になるが、あらゆる経験によって反駁されるあの虚偽である。歴史は、真理が迫害によって踏みにじられた実例に満ちている。
自分の欲望を満たそうと努力することよりも、むしろそれを制限することによって幸福を得る。
信仰を持つ人間は、集団における権力者よりも、利害で集まっている烏合の九十九人よりも力強い。
個人の自由も次の点では制限されなければならない。すなわち、他の人達に迷惑をかけてはならない。
人間性は樹木のようなものだ。指定された仕事を機械的に正確にやらされるわけではなく、あらゆる方向に伸び拡がらなければならない。
人間というものは、幼いときから労せずして得た栄誉を持っていると、成長するにつれて必ずそれを自慢したくなるものである。
真実の中には、個人的な経験を経て初めて本当の意味が理解できるものも多い。
習慣という専制王国では、人間進歩の永続的な障害が見られる。
いかに押しつぶしても個人的人格は専制である。
習慣であるが故にこれをなすという人は、何らの選択をも行なわない。
幸福以外のものを目的として生きるとき、人は幸福になれる。
満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい。
人間の運命の大きな改善は、彼らの考え方の根本的な構成に大きな変化が生じない限り、絶対に不可能である。
力によって他人にその道を強要することは、他の人たちすべての発展および自由と合致しないばかりでなく、優れた当の本人を堕落させる。
道を示す自由、これが天才の要求できるすべてである。
国家の価値は、結局国家を組織する人民の価値である。
改革の精神は必ずしも自由の精神ではない。なぜならば、改革の精神は、改革を欲しない民衆に対してそれを強制しようとするかも知れないからである。