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サマセット・モーム

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ウィリアム・サマセット・モームはイギリスの小説家、劇作家である。10歳で孤児となり、イギリスに渡る。1919年に『月と六ペンス』で注目され、人気作家となった。物語り展開の妙で、最良の意味での通俗作家として名を成した。また、ロシア革命時は秘密情報部に所属していた情報工作員であり、同性愛者としても知られている。

恋の悲劇は死でも別離でもない。それは無関心である。
結婚は素晴らしいことだが、結婚生活という習慣をつけたことは誤りだと思う。
金(かね)は第六感のようなものだ。これがないと、他の五感も十分に機能しない。
恋といえば、叫喚、涙、灼熱だ。
読書は人を聡明にしない。ただ教養ある者にするだけだ。
私達は似通ってるけれどまったく同じ人は一人もいない
人生とは、切符を買って軌道の上を走る車に乗る人には分からないものである。
恋は、人間を何ほどか自己以上のものにし、同時に、何ほどか自己以下のものにする。
苦労が人間を気高くするというのは、事実に反する。幸福が、時にはそうすることはあるが、苦労は大抵、人間をけちに意地悪くするものなのだ。
老人になって耐えがたいのは、肉体や精神の衰えではなくて、記憶の重さに耐えかねることである。
女はいつも、機会さえあれば、自分を犠牲に捧げたがる。あれは自己陶酔の一形式であり、しかも女たちのお好みの形式なのだ。
男が人生で求めるものはただ一つ。それは快楽だ。
愛してもいない男に言い寄られるときほど、女が残酷になれることはない。
神を信ずることは常識や倫理や議論の問題ではなく感情の問題である。神の存在を立証することは、それを反証することと同じく不可能である。
つまらないことに熱情を感じてよく記憶していること、これが女の一番の特徴である。数年前の友達と交わした世間話の中に出てきたこまごましたくだらないことをその気になればいつでも正確に話せるのである。しかもやりきれないことに、女はいつでもその気になるのである。
私が確信できることがたった一つある。それは確信できることはほとんどないということだ。
私たちは昨年と同じ人間ではもはやないし、私たちの愛する人もそうだ。私たちが変わりゆき、同じく変わりゆく人間を愛し続けられるというのは、幸せなことだ。
良心は、個人が自己保存のために啓発した、社会の秩序を見守る守護神だ。
人生とはおもしろいものです。何か一つを手放したら、それよりずっといいものがやってくるものです。
美はエクスタシーである。飢えと同じぐらい単純なものだ。
どんなに頭の明晰な人でも、恋に終わりのあることは理解しえても、それを実感することはできない。
何ひとつ為した事はない。このまま死んでしまえば、全くいなかったのも同然なのだ。
最も永く続く愛は、報われぬ愛である。
自分は今、あることをノートに書こうとしていると思うと、そうでない時より特に注意深く見るし、書きながら、実際当を得た言葉も生まれてくる。
私はいつも人々に興味を持ってきたが、彼らを好きになったためしはない。
小説を書くためのルールは三つある。残念ながら、どんなルールなのかは誰も知らない。
恋人として男と女とが違う点は、女は一日中恋愛をしていられるが、男は時々しかできないということである。
描かないじゃいられないんだ。自分でもどうにもならないのだ。水に落ちた人間は、泳ぎが巧(うま)かろうと拙(つたな)かろうと、そんなこと言っておられるか。なんとかして助からなければ、溺れ死ぬばかりだ。
笑いのセンスを持っていれば、人間性の矛先を楽しむことができる。
人の言葉を引用する能力は、機知のなさを補うのに役立つ。
「なぜ美人はいつもつまらぬ男と結婚するんだろう?」「賢い男は美人と結婚しないからさ」
老年の最大の報酬は、精神の自由である。
真に重大な自由はただ一つです。それは経済的な自由なのです。
良き妻は、夫が秘密にしたいと思っていることを常に知らぬふりをする。それが結婚生活の礼儀というものである。
自分は、二十歳台には冷酷、三十歳台には軽薄、四十歳台には皮肉屋、五十歳台には多少実直、六十歳台には皮相と評される。
どんな男でも育ちのいい女ほど皮肉な心を持っていない。
人間が求めているものは、明らかに快楽であり、幸福なんぞ求めてやしない。
長い目で見れば、利口者や金持ちに生まれつくよりも、運の良い人間に生まれついた方がいい。
どうやら美というものも、幸福や発明と同様、計画的に追求されない時の方が獲得しやすいようである。
愛とは、お互いに相手を知らない男女の間に発生するものである。
人間はすべて暗い森である。
書く題材が欲しいと思った事は一度もない。
この世の不幸は、良い習慣をあきらめるほうが、悪い習慣をあきらめるよりも、ずっと簡単だということにある。
思い煩(わずら)うことはない。人生に意味はないのだ。
男というものは元来多妻主義だ。心ある女は、男の気まぐれによる過失をいつも大目に見る。
愛ほど男の考えを変えさせるものはない。
生活の資を得るために絶えず心配するほど人間を堕落させるものはない。金銭を軽蔑する人たちに対して、私は軽蔑を感ずるだけである。彼らは偽善者か愚者である。
人生とはおかしなものだ。最高のものしか受け付けずにいると、最高のものを得られる場合が多い。
行きずりの読者を、二、三時間のんびりさせるか、旅行の退屈を紛らしてやるかのために、著者がどんなに苦心し、どんなつらい経験に耐え、どんな心労を味わったかは、神のみぞ知るである。
毎日、自己の嫌いなことを二つずつ行うのは、魂のためによいことだ。
我々は誰でも、いつの日か、きっと役立つと思われるよいアイデアや生き生きした感覚を持つのだが、それを書いておくのを怠るため、逃げられてしまうのである。
人間の不幸のひとつは、彼らが性的魅力を失ってからもずっと後まで、性欲だけが残っていることだ。
金(かね)だけが人生ではないが、金のない人生もまた人生とは言えない。十分な金がなければ、人生の可能性の半分は締め出されてしまう。
読書の習慣を身につけることは、人生のほとんどすべての不幸からあなたを守る、避難所ができることである。
親が子に対する愛情こそは、まったく利害を離れた唯一の愛情である。
才能のない人たちが芸術を追求するほど悲惨なことはない。
芸術家の最大の敵は自己懐疑だ。
新しい考えはおおかた新しい感動のせいなのだ。それは思慮によってではなくて、情熱によって得られるものなのだ。
ユーモアのセンスを持っていると、人間性の矛盾を楽しむようになる。
人は批評してくれというが、称賛を欲しているだけである。
苦労人というのは、ややこしい苦境を優雅に切り抜ける人のことである。
芸術家は孤独の狼であり、彼の道は孤独である。仲間が彼を荒野に追い出すことは、彼のためになることである。……自己満足は芸術家を滅ぼすものである。
だって僕のしたことは全てそうするよりほかなかったのだとすれば、後悔しようにも、しようがないじゃないか?
何が残酷といって、相手を愛しているのに相手からは愛してもらえない男には、女心ほど残酷なものはない。
男が妻に対して不実をおこなったら、女は同情のまとになる。女が不貞を犯したら、男は嘲笑のまとになるだけだ。
完璧には一つの重大な欠点がある。退屈になりがちなのだ。
ねえ、メアリイさん。それでこそ人生ですよ。伸るか反るか(のるかそるか)やってみるのが。
人生への準備には、もううんざりした。今こそ、生きてみたいんだ
世界は芸術家の目を通して自然を見ている。
僕らは謙虚でなくちゃいけない。静かな生活の美しさを知るべきだよ。「運命」の目にさえも気づかれないで、そっと人知れぬ一生を終えるべきなんだ。
もちろん知っていると思うけど、不倫を決してしなかったタスマニア人は、絶滅したからね。
作家は、羊の肉がどんな味であるかを書くために一頭の羊全部を食べる必要はない。カツレツ一枚を食べれば十分だろう。しかし、それだけはやってみなくてはならない。
「青春が楽しい」というのは迷想である。青春を失った人達の迷想である。
偉大な芸術は、道徳的要素なしには存在しえない。
生きるための唯一の方法は、自分が死に行くことを忘れることだ。