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石川啄木

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石川啄木は日本の歌人、詩人であり、東京に新聞の校正係として勤める傍ら、小説家を志すも失敗したが、1910年に三行分かち書き形式の初の歌集『一握の砂』を刊行し、名声を得た。結核により満26歳で没したが、彼の作品は今でも人々の心に残っている。

たはむれに母を背負(せお)ひてそのあまり軽(かろ)きに泣きて三歩あゆまず
やまひある獣(けもの)のごときわがこころふるさとのこと聞けばおとなし
ふるさとの土をわが踏めば何がなしに足軽(かろ)くなり心重(おも)れり
こころよく春のねむりをむさぼれる目にやはらかき庭の草かな
大(おほ)いなる彼の身体(からだ)が憎(にく)かりきその前にゆきて物を言ふ時
ゆゑもなく海が見たくて海に来ぬこころ傷(いた)みてたへがたき日に
今日聞けばかの幸(さち)うすきやもめ人(びと)きたなき恋に身を入(い)るるてふ
負けたるも我にてありきあらそひの因(もと)も我なりしと今は思へり
こころよき疲れなるかな息もつかず仕事をしたる後(のち)のこの疲れ
結婚は実に人間の航路に於(お)ける唯一の連合艦隊也(なり)。
二日(ふつか)前に山の絵見しが今朝になりてにはかに恋しふるさとの山
わがこころけふもひそかに泣かむとす友みな己(おの)が道をあゆめり
目になれし山にはあれど秋来(く)れば神や住まむとかしこみて見る
はたらけどはたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざりぢっと手を見る
浅草(あさくさ)の夜(よ)のにぎはひにまぎれ入(い)りまぎれ出(い)で来(き)しさびしき心
かなしきは飽(あ)くなき利己の一念を持てあましたる男にありけり
打明けて語りて何か損(そん)をせしごとく思ひて友とわかれぬ
ゆゑもなく憎みし友といつしかに親しくなりて秋の暮れゆく
「趣味の相違だから仕方がない」とは人のよく言うところであるが、それは「言ったとてお前には解りそうにないからもう言わぬ」という意味でない限り、卑劣極まった言い方と言わねばならぬ。
己(おの)が名をほのかに呼びて涙せし十四(じふし)の春にかへる術(すべ)なし
とある日に酒をのみたくてならぬごとく今日(けふ)われ切(せち)に金(かね)を欲(ほ)りせり
東海(とうかい)の小島(こじま)の磯の白砂(しらすな)にわれ泣きぬれて蟹(かに)とたはむる
とかくして家を出(い)づれば日光のあたたかさあり息ふかく吸ふ
(物事を)道徳の性質および国家という組織から分離して考えることは、きわめて明白な誤謬(ごびゅう)である。むしろ、日本人にもっとも特有な卑怯である。
ある日のこと室(へや)の障子(しやうじ)をはりかへぬその日はそれにて心なごみき
わが抱(いだ)く思想はすべて金(かね)なきに因(いん)するごとし秋の風吹く
よりそひて深夜の雪の中に立つ女の右手(めて)のあたたかさかな
必要は最も確実なる理想である。
叱られてわっと泣き出す子供心その心にもなりてみたきかな
鏡屋(かがみや)の前に来てふと驚きぬ見すぼらしげに歩(あゆ)むものかも
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来(き)て妻としたしむ
ふるさとの父の咳(せき)する度(たび)に斯(かく)咳の出(い)づるや病めばはかなし
さびしきは色にしたしまぬ目のゆゑと赤き花など買はせけるかな
気の変(かは)る人に仕(つか)へてつくづくとわが世がいやになりにけるかな
人並の才に過ぎざるわが友の深き不平もあはれなるかな
あまりある才を抱(いだ)きて妻のためおもひわづらふ友をかなしむ
石をもて追はるるごとくふるさとを出(い)でしかなしみ消ゆる時なし
ふるさとの訛(なまり)なつかし停車場(ていしやば)の人ごみの中にそを聴きにゆく
ひとりの人と友人になるときはその人と いつかかならず絶交することあるを忘るるな
ふるさとの空遠(とほ)みかも高き屋(や)にひとりのぼりて愁(うれ)ひて下(くだ)る
さりげなく言ひし言葉はさりげなく君も聴きつらむそれだけのこと
死にたくてならぬ時ありはばかりに人目を避(さ)けて怖(こは)き顔する
あらそひていたく憎みて別れたる友をなつかしく思ふ日も来(き)ぬ
我々は今、最も厳密に、大胆に、自由に今日(こんにち)を研究して、其処(そこ)に我々自身にとっての明日の必要を発見しなければならぬ。
山は動かざれども、海は常に動けり。動かざるのは眠の如く、死の如し。しかも海は動けり。常に動けり。これ不断の覚醒なり。不朽の自由なり。
同志よ、われの無言をとがむることなかれ。われは議論すること能(あた)はず、されど、われには何時にても起たつことを得る準備あり。
かの時に言ひそびれたる大切の言葉は今も胸にのこれど
ふるさとの山に向(むか)ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな
よく笑ふ若き男の死にたらばすこしはこの世さびしくもなれ
ふるさとに入(い)りて先(ま)づ心傷いたむかな道広くなり橋もあたらし
青空に消えゆく煙さびしくも消えゆく煙われにし似るか
一度でも我に頭を下げさせし人みな死ねといのりてしこと
この次の休日(やすみ)に一日寝てみむと思ひすごしぬ三年(みとせ)このかた
時代に没頭していては時代を批評する事が出来ない。
結婚について神の定められた法律はただ一ヶ条ある。いわく、愛!
敵として憎みし友とやや長く手をば握(にぎ)りきわかれといふに
いくたびか死なむとしては死なざりしわが来(こ)しかたのをかしく悲し
白き蓮(はす)沼に咲くごとくかなしみが酔ひのあひだにはっきりと浮く
いつしかに情(じやう)をいつはること知りぬ髭(ひげ)を立てしもその頃なりけむ
明日の考察!これ実に我々が今日において為(な)すべき唯一である、そして又総(すべ)てである。
石ひとつ坂をくだるがごとくにも我けふの日に到り着きたる
うぬ惚(ぼ)るる友に合槌(あひづち)うちてゐぬ施与(ほどこし)をするごとき心に
大(だい)という字を百あまり砂に書き死ぬことをやめて帰り来(きた)れり
こころよく我にはたらく仕事あれそれを仕遂(しと)げて死なむと思ふ
くだらない小説を書きてよろこべる男憐(あは)れなり初秋(はつあき)の風
何がなしに頭のなかに崖(がけ)ありて日毎(ひごと)に土のくづるるごとし
わが家と呼ぶべき家の欲しくなりて、(中略)場所は、鉄道に遠からぬ、心おきなき故郷の村のはづれに選びてむ。西洋風の木造のさっぱりとしたひと構へ、高からずとも、さてはまた何の飾りのなくとても、広き階段とバルコンと明るき書斎……げにさなり、すわり心地のよき椅子(いす)も。
新しき本を買ひ来て読む夜半(よは)のそのたのしさも長くわすれぬ
人間のすることでなにひとつえらいことがありうるものか。人間そのものがすでにえらくもたっとくもないのだ。
死ぬことを持薬(ぢやく)をのむがごとくにも我はおもへり心いためば
へつらひを聞けば腹立(はらだ)つわがこころあまりに我を知るがかなしき
われは知る、テロリストのかなしき心を――言葉とおこなひとを分ちがたきただひとつの心を、奪はれたる言葉のかはりにおこなひをもて語らむとする心を、われとわがからだを敵に擲(な)げつくる心を――しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有(も)つかなしみなり。
治(をさ)まれる世の事(こと)無さに飽きたりといひし頃こそかなしかりけれ
人といふ人のこころに一人づつ囚人(しうじん)がゐてうめくかなしさ
それもよしこれもよしとてある人のその気がるさを欲(ほ)しくなりたり
山の子の山を思ふがごとくにもかなしき時は君を思へり
汽車の旅とある野中(のなか)の停車場の夏草の香(か)のなつかしかりき
願はくば一生、物を言ったり考へたりする暇もなく、朝から晩まで働きづめに働いて、そしてバタリと死にたいものだ。
空寝入(そらねいり)生あくび《「生」&「口+去」&「呻」》などなぜするや思ふこと人にさとらせぬため
長く長く忘れし友に会ふごときよろこびをもて水の音聴く
女ありわがいひつけに背(そむ)かじと心を砕(くだ)く見ればかなしも
腕(うで)拱(く)みてこのごろ思ふ大(おほ)いなる敵(てき)目の前に躍(をど)り出(い)でよと
かの旅の夜汽車の窓におもひたる我がゆくすゑのかなしかりしかな
いと暗き穴に心を吸はれゆくごとく思ひてつかれて眠る
我々が書斎の窓からのぞいたり、ほお杖ついて考えたりするよりも、人生というものは、もっと広い、深い、もっと複雑で、そしてもっと融通のきくものである。
よごれたる足袋(たび)穿(は)く時の気味わるき思ひに似たる思出(おもひで)もあり
こみ合(あ)へる電車の隅(すみ)にちぢこまるゆふべゆふべの我のいとしさ
こころよく人を讃(ほ)めてみたくなりにけり利己の心に倦(う)めるさびしさ
いかなる問題にあっても、具体的という事は、最後の、しかして最良の結論だ。
世わたりの拙(つたな)きことをひそかにも誇(ほこり)としたる我にやはあらぬ
いつしかに泣くといふこと忘れたる我泣かしむる人のあらじか
明日は何を為すべきか。これは今日のうちに考えておかなければならぬ唯一のものである。
詩はいわゆる詩であってはいけない。人間の感情生活の変化の厳密なる報告、正直なる日記でなければならぬ。
いそがしき生活(くらし)のなかの時折(ときおり)のこの物おもひ誰(たれ)のためぞも
わが去れる後(のち)の噂(うはさ)をおもひやる旅出(たびで)はかなし死ににゆくごと
何がなしに息きれるまで駆け出してみたくなりたり草原(くさはら)などを
寂寞(せきばく)を敵とし友とし雪のなかに長き一生を送る人もあり
旅七日(なのか)かへり来(き)ぬればわが窓の赤きインクの染(し)みもなつかし
人生を縦に見れば理想も希望もあり。之(これ)を横に見たる時、吾人(ごじん)は唯(ただ)痛ましき精力消耗の戦いを見る。
恋は人生のすべてではない。その一部分だ。しかもごく僅かな一部分だ。