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荒川洋治

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荒川洋治は、日本の現代詩作家、随筆家。26歳で詩集『水駅』を刊行して、H氏賞を受賞、以後、多くの詩集・随筆・評論を刊行している。1974年から詩を専門にする出版社である紫陽社を経営。大阪文学学校、青山学院大学、早稲田大学などで教壇に立つ。2019年、日本芸術院会員。宮沢賢治研究がやたらに多い。

学歴の高い男性ほど怪しめ。勤勉で有能である男ほど危ない。
政治や社会の動きには明るい。だが自分個人の関心や興味はどこにあるのかわからない。あってもそれに自信をもてない空気をみんなでつくりあげている。
「情報」を持つ文章もいまは花形である。(中略)情報の文字だけあって、その人が文章のなかにいないことが多い。
関西は、正直の文化。ほんねをさらす。自分を笑ってみせる。そんな関西風のライフスタイルを知らず知らずのうちにぼくも身につけたように思う。詩を書くときもそうである。
至宝は実物のなかにだけあるというのはひとつの信仰である。宝物は身近な、自分の心のなかにだってある。
最初にふれているのだ。そのときは気づかない。二つめあたりにふれたとき、ふれたと感じるが、実はその前に、与えられているのだ。
『文章の書き方』なんていう本はあまり読まないほうがいいと思う。自分は文章が書ける、という前提でものをいう神経のずぶとい人たちのことばだから、まず信用できない。
詩は知識とも情報とも無縁。「持てる」ものを排除して見えてくるものをこそ求めようとする。そうではない場所からやってくる文章に対してはおのずと、はながきくようになるのだ。
詩はわかるところだけを読むことに実はいのちがあるもので、それを知るためには、ある程度読みなれる必要がある。
いまおとなは、自分のほんとうのよろこびとは何かを考えるとき、大きな状況ばかり想定する。(中略)それがかえって心をちいさくする。
ひよっこのぼくにも文章を書くときの心がけのようなものはある。①知識を書かないこと。②情報を書かないこと。③何も書かないこと。
文章から立ち去る読者があとに舞い戻るとしたらそれは、文章のなかみとの再会を期するためではない。リズムにまみえるためだろう。
「詩というのは無理をせず、遠慮もなく、いまの自分にわかる一節だけを読み、わからないところは読まなくていい。 
私はこれだけのことを知っているという高座からの文章を世間ではよく見かける。知識に頼りそれを振り回していると、知識という「過去」の重みで、文章を書くその人のいまの考えや姿が見えなくなる。
ときどき自分を忘れて知ったかぶりをする。そうならないよう、自分の文章が自分の場を離れないように、お祈りする。