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有島武郎

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有島武郎は日本の作家で、1878年3月4日に旧薩摩藩郷士で大蔵官僚、実業家の有島武の長男として横浜(現文京区)で生まれました。学習院中等科を卒業した後、札幌農学校に進学し、洗礼を受けていました。1903年にアメリカへ行き、ハーバード大学で1年間歴史や経済学を学び帰国した後、志賀直哉、武者小路実篤らと共に同人「白樺」に参加しました。1923年6月9日に死去しました。代表作に『カインの末裔』『或る女』や評論『惜しみなく愛は奪ふ』があります。

愛せざる所に愛する真似をしてはならぬ。憎まざる所に憎む真似をしてはならぬ。もし人間が守るべき至上命令があるとすればこの外(ほか)にはないだろう。
よく愛するものはよく憎む事を知っていると同時に、憎む事の如何(いか)に苦しいものであるかを痛感し得るものだ。
死ぬまで少年の心でいることのできる人は、実にさいわいである。
愛を優しい力と見くびった所から、生活の誤謬は始まる。
自分というものと不分不離の仕事を見出す事。而(しこう)して謙遜な心持でその仕事に没頭する事。
愛は掠奪(りゃくだつ)する烈しい力だ。
私にとっては現在を唯一の宝玉として尊重し、それを最上に生き行く外(ほか)に残された道はない。私はそこに背水の陣を布(し)いてしまったのだ。
畏れることなく、醜にも邪にもぶつかってみよう。その底に何があるか。もしその底に何もなかったら、人生の可能性は否定されなければならない。
私が子供に対して払った犠牲らしく見えるものは、子供の愛によって酬(むく)いられてなお余りがある。
容易な道を選んではならぬ。近道を抜けてはならぬ。
子供は子供自身の為(た)めに教育されなければならない。この一事が見過ごされていたならば教育の本義はその瞬間に滅びるのみならず、それは却(かえ)って有害になる。
僕は一生が大事だと思いますよ。来世があろうが、過去世があろうが、この一生が大事だと思いますよ。
愛のある所には常に家族を成立せしめよ。愛のない所には必ず家族を分散せしめよ。この自由が許されることによってのみ、男女の生活はその忌むべき虚像から解放され得る。
この私の生命は何といっても私のものだ。(中略)私の唯一の所有よ。私は凡(すべ)ての懐疑にかかわらず、結局それを尊重愛撫しないでいられようか。涙にまで私は自身を痛感する。
小さなことが小さなことでない。大きなことが大きなことでない。それは、心一つだ。
神を信じないと云(い)うのは恐ろしい事だ。神を信じると云うのも恐ろしい事だ。
私は私のもの、私のただ一つのもの、私は私自身を何者にも代え難く愛することから始めねばならない。
愛の表現は惜しみなく与えるだろう。しかし、愛の本体は惜しみなく奪うものだ。
お前たちをどんなに深く愛したものがこの世にいるか、或(ある)いはいたかという事実は、永久にお前たちに必要なものだと私は思うのだ。
人生とは畢竟(ひっきょう)運命の玩具箱(おもちゃばこ)だ。人間とはその玩具箱に投げ込まれた人形だ。
愛は自己への獲得である。愛は惜しみなく奪うものだ。愛せられるものは奪われてはいるが不思議なことには何物も奪われてはいない。しかし愛するものは必ず奪っている。
人の生活とは畢竟(ひっきょう)、水に溺れて一片の藁(わら)にすがろうとする虚しく儚い努力ではないか。
私は生まれ出た。私はそれを知る。私自身がこの事実を知る主体である以上、この私の生命は何といっても私のものだ。私はこの生命を私の思うように生きることが出来るのだ。
お前たちは遠慮なく私(=親)を踏み台にして、高い遠い所に私を乗り越えて進まなければ間違っているのだ。
社会の為(た)めに子供を教育する──それは驚くべき悲しむべき錯誤である。仕事に勤勉なれと教える。何故正しき仕事を選べと教えないのか。正しい仕事を選び得たものは懶惰(らんだ)であることが出来ないのだ。
孤独なものは自分の掌を見つめることにすら熱い涙をさそわれる。
私に取っては、私の現在はいつでも最大無限の価値を持っている。私にはそれに代(か)うべき他の何物もない。
己を主とする以上、他人にも同じ心持ちのあるのに注意しよう。
愛の前に死がかくまでも無力なものだとはこの瞬間まで思わなかった。
前途は遠い。そして暗い。しかし恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。行け。勇んで。小さき者よ。
憎しみとは人間の愛の変じた一つの形式である。愛の反対は憎しみではない。愛の反対は愛していないことだ。