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浅田正作

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ボートレーサー一覧は日本で活動するボートレーサーの一覧である。2020年2月末現在で、引退した選手も含まれている。“+”印は引退選手、“†”印は故人を表す印になっている。

己れの地獄発見そこから 仏法が始まるこの地獄 深くして底なしここから真の人生が始まる
なんにも わからないものがまた わかったつもりで行き詰まっていた
この足腰で急がずあせらずどこまでゆけるか倒れたところが目的地
なるほどそうかと頷(うなず)けるこのよろこびがあるのでこの世のいのち終わるまで私は聞かしてもらう
当り前が拝める当り前が当り前でなかったと当り前が拝めるときどうにも始末のつかんわが身からひまもらえる
折れて見て初めて見えた鬼の角折れた思いがまた 角になり
ジャガイモころころ掘り起こされて大小不同のピッカピカの仏さまが土のなかからおどりだされた出来 不出来をいうのは人間のたわごと
どこまでもこの身の痛まぬところで他人に同情しているこの不実さを恥ずかしいとも思わず
老いて感じることそれは黙って枯れてゆく草や木の偉大さである
自分が可愛いただ それだけのことで生きていたそれが 深い悲しみとなったときちがった世界がひらけて来た
悲しみの深さがそのひとの深さだ
食って 寝て大きくなって子を生んで老いて 死んでゆくあらゆる生きものが平然とやっていることを満足に果せない人間とはなんだろうかこの問いにたちすくんで人は初めて道を求める
平和とはなんだろうか敵(かたき)と共に生きられるそんな世界ではないのか
愧づかしい自分愧づかしい自分を見ている自分ではない自分
また しくじった分かっている知っているという思いがこの耳に蓋をして頑張っていた
なにかひと言いいたくなるこの根性の根っこに人に噛みつくまむしが住みついていてときどき鎌首をもたげる
浮かんでいるだけであの浮き雲は走り回っている私を人間に帰らせる
魚買うた リンゴ買うたその金自分の仲間の人間に払ったが魚に リンゴに金払った人間は誰もいない
交差点に差しかかったら信号が黄色にかわったブレーキを踏みながら「チクショウ」と言ったあさましや 畜生は仏法聴聞にゆく車のなかにいた
いろいろと覚えたばかりに愚者になれず身うごきがとれません
このわが身思い知らされるほかに聞くということも信ずるということもないように思う
地獄とは楽を求めて苦しむ世界極楽とは苦を転じて楽しむ世界その どちらにもつけず苦ぢゃ 楽ぢゃと迷うている私
如来さまのくださる問題は答えを要求されたのではなかった問題から逃げなければよかったのだ
死ぬことが情けないのではない空しく終わる人生がやりきれないのだ
人間の迷いを呼び覚ましてくださる仏教が迷いの種となっているこの迷妄の深さよ
愧(は)づかしくない生きかたなど人間の生き方ではないと思う
楽になりたくて仏法聞き始めたが楽を求めぬのが一番楽と体でわかって来た
知らぬ間に撮られた写真気に入らないがそのままの自分が写っている
人生五十年が七十年にのびたのは仕上がるのに手間ひまかかる 難物がふえたからでは
やどかりが自分の殻を自分だと言ったらおかしいだろう私は 自分の殻を自分だと思っている
泥に酔った鮒が新しい水に入れられてどれだけ泥を吐いても泥が出て来るので泥が自分だったと呆れている
枯草は次のいのちのために土に伏してその実を抱いている
苦のない人生など無意味と合点しながら私は相変わらず楽がしたくてウロウロしている
今朝もまた目が覚めたをなんとも思わず一日がはじまったあさましや目が覚めたを当たり前にして何が喜べようか
とおい昔死ぬほどに苦しんだあのことが私を ここまで
自分というものに光をあてお知らせいただくそのほかに宗教というものがあろうか
昔はいつも 誰かと自分をくらべていじけたり のぼせたり今も やっぱりそれをやるがやったあとにそれが見える
ここに居て喜べずずい分よそを捜したがここをはなれて喜びはどこにもなかった
毎日まいにちが流転輪廻のうみこえ やまこえそれも今生(こんじょう)かぎりの迷いと思えば懐かしさもひとしおです
天気のよい日が喜べるのは雨や雪の日があるからでした
不出来のままに出来上がってゆくので人生は面白い
世の中が便利になって一番困っているのが実は人間なんです
たったのひと言が時空を超えてこの胸にひびくとき人間に生まれてよかったとおもう
帰る所があるので待っていてくださるので安心して遊んでいられる
生きているこのなんでもないことに躓(つまず)かねば幸せなんてわからないんだ
福はうち鬼はそと待ってください待ってくださいその二人は絶対別れられないのですその豆福だけを欲しがるこの私に投げてください