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カール・ユング

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カール・グスタフ・ユングは、スイスの精神科医・心理学者で、ブロイラーに師事し深層心理について研究、分析心理学(ユング心理学)を創始した。彼は子供時代は自分の内面に深い注意を傾け、善と悪、神と人間、などについての思索に没頭した。「生涯忘れられない夢」を1879年または1880年に見られたとされる。バーゼルの上級ギナジウムに通い、ラテン語を勉強した。父親の示唆で『ファウスト』を読み、衝動や無意識の認識の意味をテーマに研究をした。

内面で向き合わなかった問題は、いずれ運命として出会うことになる。
ある人に合う靴も、別の人には窮屈である。あらゆるケースに適用できる人生の秘訣などない。
二つの人格の出会いは、二つの化学物質の接触のようなものだ。もしなんらかの反応が起きれば、両方が変質するのだ。
子供たちは、大人の話ではなく、大人のあり方によって教えられる。
感覚は、何かがあることを教えてくれる。それはその物が何であるのかは伝えないし、その物にまつわる他のことを伝えてもくれない。ただ何かがあることのみを知らせるのである。
理解できない人のことを愚か者と見なしてしまうことが人間にはよくある。
他人に苛(いら)つくことはすべて、自分自身の理解に役立つ。
まともな男を連れてきてみなさい。そうしたら私が彼を治療してあげるから。
創造するものが何もないなら、自分自身を創造したらよい。
人間が存在する唯一の目的は、単に生きることの暗闇に火をつけることである。
私は、神を信じると言うことはできない。私は知っているのだ!私は、自分自身より強いもの、人が神と呼ぶものにつかまれたことがある。
人生に別れを告げることのできぬ老人は、人生を受け入れることのできぬ若者のように弱々しく、活気なく見える。
自分の外側を見る人は、夢を見ているだけだ。自分の内側を見る時、人は初めて目覚めるのだ。
二つのものの差異が大きければ大きいほど、潜在的可能性は大きくなる。大きなエネルギーは、正反対のものの間にある違いの差に呼応した大きな緊張からのみ、生まれるのだ。
幸福な人生にさえも、ある程度の暗さはあるものです。そして、「幸福」という言葉は、悲しみによってバランスが取られなければ、その意味を失ってしまうでしょう。
人は自分自身については暗闇の中にいるのも同然です。自分を知るには、他人の力が必要なのです。
他人について私たちがイライラするあらゆる事柄は、私たち自身を理解するのに使える事柄だ。
理解できないことについて語ることも、重要かつ有益である。
新しい創造というのは知性によって為(な)されるのではなく、内なる必要から本能が為す。創造的な精神は愛することに取り組むものだ。
コンプレックスとは、何か両立し難い、同化されていない、葛藤を起こすような事柄が存在していることを意味する。それはおそらく障害であろう。だがそれは偉大な努力を刺激するものであり、そしてたぶん、新しい仕事を遂行する可能性の糸口でもあるのだ。
受け入れることなしに、何も変えることはできない。非難は(精神を)解放するどころか、抑圧するだけなのだ。
人間の心は、潜在意識を媒介として、広大な「共通の潜在意識」(集合的な無意識)につながっている。
しばしば、知性があがいて解けなかった謎を手が解決する。
パーティーというのは、他者の目で自分の価値を確認する行為だ。
親のいない生活くらい、その人の環境、特にその子どもに心理的に強い影響を与えるものはない。
慎重でなければならないが、慎重すぎて自分自身による援助までも拒否することがあってはならない。もしそれを拒否するなら、私たちは人間の中の最良のものである、その人の大胆さと向上心を抑圧するのです。
人生の濁流に身を投じているかぎり、障害がないという人間はいない。
子供にどこか直したい点があるなら、まずよく考え、それが自分についても直したほうがよい点ではないか、ということを見極めるべきである。
愛の支配するところ、権力欲は存在しない。権力が幅をきかせるところに愛はない。両者はお互いの影なのだ。