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エピクテトス

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エピクテトスは古代ギリシャの哲学者であり、ストア派の哲学を学んだ後、自由人となり教えを世界に広めた。特に、彼の教えの中においては苦しい状況の中でも精神的な安定を保つことや、世界中の人々が平等であるべきという考えは、今日の西洋文明にも重大な影響を与えている。

汝を罵倒したり、打ちたるその人間が汝を虐待するにあらず。それを恥辱なりと考える汝の想念が、然(しか)らしむることをしかと考えよ。
息子が死んだとな?返したのじゃ。細君が死んだとな?返したのじゃ。
自由というのは、我々が欲しいと思うものを、かたっぱしから思う存分楽しむことによって得られるというものではなくして、むしろ欲望を抑制することによって得られるものである。
まず、どのように生きたいのかを自らに問え。そしてなすべきことをなせ。
人を不安にするのは、物事ではない。物事についての意見だ。
快楽に抵抗するは賢者、快楽の奴隷になるは愚者。
自分に欠けているものを嘆くのではなく、自分の手元にあるもので大いに楽しむ者こそ賢者である。
許すことは復讐に勝る。
聞き上手は一つの技術である。
幸福への道はただ一つしかない。それは、意志の力でどうにもならない物事は悩んだりしないことである。
自分がどうなりたいか、まず自分自身に問え。しかる後、しなければならないことをせよ。
人は起こることによって心が乱されるのではなく、起こることをどのように考えるかによって心が乱れるのだ。
困難は人の真価を証明する機会だ。
自分の力のうちにあって自由になるものと、自分の力のうちになくて自由にならぬものを、峻別せよ。
汝善ならんとせば、まず汝の悪なるを信ぜよ。
死は何ら恐ろしいものではない。むしろ死は恐ろしいという死についての考え、それが恐ろしいものなのだ。
与えられたるものを受けよ。与えられたるものを活かせ。
侮辱は相手のせいではなく、侮辱されたと思い込むせいだ。
人がいやいやながらいる処(ところ)は、彼にとっては牢獄である。
人々が夢中になって騒ぐもの、それを手に入れるために躍起になって奔走するもの──そうしたものは、彼らになんの幸福ももたらさない。奔走しているあいだは、その渇望するもののなかに自分らの幸福があると思っているけれども、それが手に入るや否や、彼らはふたたびそわそわしはじめ、まだ手に入れていないものを欲しがり、人が持っていれば羨(うらや)ましがる。
議論の相手が頑なになった時には、その人の頭の中にはもはや論理的思考などないのです。
自分の好きなように生きている人間は自由である。
人間の本性には、動物と通い合える肉体と、神々と通い合える理性・英智とが混じり合っている。
空(むな)しい欲望を満足させるために君が今日まで注いで来た努力の半分でいいから、それらの欲望からの脱却に注いでみるがいい。そうしたら君はまもなく、そのことによってはるかに多くの平安と幸福とを獲得できることを発見しよう。
何であれ素晴らしいものは突如として生じるものではない。ブドウの1房、イチジクの実1つとて同じである。君がイチジクの実が欲しいというなら、私は時間が必要だと答えよう。花が咲き、実がつき、それが熟すのを待たねばならない。
この地上にて最も小なるものは貪欲、快楽欲、大言壮語であり、最も大いなるものは寛容、柔和、慈悲心なり。
人生のどんな状況にあっても、自分自身と対話し、この対話によってどれだけ得るところがあるか自問することを忘れないことだ。
何についてもいうな、「なくした」と。「返した」と言え。
自分が不幸なとき、他の人たちを非難するのは無教養者、自分自身を非難するのは教養の初心者、そして他人をも自分をも非難しないのが本当の教養人である。
金銭、快楽、名誉を愛する者は、人を愛することができない。
君自身の行為や、出くわした危険を、たくさん、度をこえて述べることは避けたほうがいい。
人があなたのことを悪く言う。それが真実なら直せばいい。それがウソなら笑い飛ばせばいい。
病気は身体の障害であるが、気にしない限り意思の障害ではない。
哲学とは、自分の幸福が外からの事柄にできるだけ左右されぬように心がけて、生きることである。
ただ一つ人間の良心のみが、あらゆる難攻不落の要塞よりも安全である。
順境にて友を見つけるはたやすく、逆境にてはきわめて難し。
自己のものにあらざる長所を自慢するなかれ。
大笑いをするな、多くのことに笑うな、しまりなく笑うな。
己自身を統治できぬ者は、自由にあらず。
心の平静と幸福にいたる道は一つしかありません。したがって、早朝目覚めたときも、日中も、また夜遅く眠りにつくときも、常にこの道から離れてはなりません──その道とは、外的なことを一切、自分のものとして考えずに、すべてを神に委ねることなのです。
肉体より魂を癒すことのほうがはるかに必要なり。なんとなれば、死は悪い人生よりよいからなり。
宴席で作法を守るように人生の作法を守ることを忘れてはならない。ご馳走が回ってきて自分の前に来たら、手を伸ばして礼儀正しく一人分を取る。次に回っていくのを滞らせることのないように。まだ回ってこないうちから欲しそうにしないで自分の前に来るまで待つように。子供についても妻についても地位についても富についても同じ事である。
相手が、あまりにも明らかな真実に対して異議を唱えるならば、論拠を見つけて意見を変えさせるのは容易ではありません。
己の敵に何を持って復仇すべきか?できる限り多くの善を行うべく努力せよ。
心の平安は、いたずらなる欲望の充足によって生じるものでなく、反対にそうした欲望の棄却によって生ずるものである。
よい作家になりたいなら、書くことだ。
慎め、かつ耐え忍べ。
神が人間に一つの舌と二つの耳を授けたのは、しゃべるより二倍多く聞くためである。