藤原東演のプロフィール画像

藤原東演

@01gr32g3hgvs2d5ek6rs7jpfwj

静岡県静岡市にある映画館「静岡シネ・ギャラリー(Cine Gallery)」は、2003年(平成15年)12月20日に開館された宝泰寺の檀信徒会館であるサールナートホール3階にある50席と55席の2スクリーンから構成されています。静岡市唯一のミニシアターで、仏教寺院が運営していると言われています。映画配給会社の系列に属さない単館系映画館として運営されています。2008年(平成20年)まで静岡県内唯一のミニシアターだったそうです。'

人間は、心を改めて一大決心したそのときから、新しい人生が始まるのである。
「心がときめかないのは、もう年だからで、仕方がない」「ときめくのは若い人の特権だ」、そう思い込むこと自体が心の老化ではないのか。
禅の師は、弟子を鍛えるのに(中略)あるときは徹底的に追い込み、その人のすべてを否定しきる。この厳しさがないと、いったん頭にこびりついた迷いや思い込みは容易に払拭できないものだ。
人はいくつになっても、何かをやり遂げたときの達成感から、すばらしい快感を得ることができる。この快感は、次の仕事や興味への、新たなチャレンジ力を生む。ものごとを中断することは、そういう快感や気力をみずから捨てることにほかならないのだ。
無理しなくていいことばかりやるのは、真に面白いという境地や、ものごとを心から楽しめる世界を獲得することを、みずから放棄しているのだ。
悩むことは人生を再生させる原動力だ。
「要領よく」という考えは、人生を意義あるものにしてくれない。
「面白い」という言葉がある。ものごとが真に楽しく快くなるのは、面(おもて)=顔が青白くなるくらいまで打ち込む。それで初めて得ることのできる境地だという。
禅の師は、弟子を鍛えるのに「活人剣」「殺人刀」を自在に使う。弟子を徹底的にほめ上げて、その人の長所を伸ばす。これを「活人剣」という。あるときは徹底的に追い込み、その人のすべてを否定しきる。これを「殺人刀」という。
禅という字は、単を示すとある。心を単純にする。つまり空っぽにして、今、この場に打ち込むことこそ人生のスタートであり、極意だということである。
砂金を得るには砂利(じゃり)を捨てないことだ。
「うまくやる」より「普段通りやる」