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ハインリッヒ・ハイネ

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クリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネは、ドイツの詩人、文芸評論家、エッセイスト、ジャーナリストである。1797年12月13日にデュッセルドルフのユダヤ人の家庭で生まれた。名門ゲッティンゲン大学卒業後、法学士号を取得し、商人、そして法律家を目指す。しかし、ボン大学でA・W・シュレーゲルの、ベルリン大学でヘーゲルの教えを受け、作家として出発した。『歌の本』などの抒情詩から始まり、多くの旅行体験をもとにした紀行や文学評論、政治批評も執筆した。1831年からパリに移り、当時の若きマルクスを含む多くの芸術家と交流を繰り広げた。そして、プロレタリア革命など共産主義思想の着想に多大な影響を与えた。文学史上ではロマン派の流れに属するが、当時の動乱を生きてきたことから、批評精神に裏打ちされた風刺詩や時事詩も多くの作品を発表した。

僕は慈善家の金持ちを憎む。その財宝を取られまいとして鍵を堅くかけて深く蔵するけちん坊よりも、慈善家を憎む。
世界の崇高さは、世界を観る精神の崇高さに等しい。
あなたは、これらのかわいい花たちの語る隠れた言葉を知っているか?昼間は真理を、夜は愛を……これこそ彼らが語る言葉なのだ。
少しの悲しみもない純粋な幸福なんて、めったにあるものではない。
女たちには性格がないと私は言わぬ。ただ毎日新しい性格が彼女たちにあると言うのだ。
春の本質は冬になって初めて理解され、五月の最もいい歌は、囲炉裏の端(はた)で作られる。自由の値打ちは牢獄の中で身にしみて感じられる。
矢が弓の弦から離れるや否や、その矢は射手のものではない。言葉は唇から離れるや否や、ましてや、それが何枚にもに印刷された後は、もはや話し手の自由にはならない。
どの時代にもそれぞれの課題があり、それを解くことによって人類は進歩する。
大きな苦しみから私は小さな歌をつくる
人生は、もともと悲愴なものと滑稽なものとの結合がなくては堪えられないほど、宿命的に厳粛なものである。
ことば、これによって死者を墓から呼び出し、聖者を埋めることも出来る。ことば、これによって小人(こびと)を巨人に仕上げ、巨人を徹底的にたたきつぶすことも出来る。
率直なご意見を伺いたいとか、厳しくご批評下さいといいながら、内心ではただ称賛のことばを待っている。率直に批評した者がそれによって憎まれなくても、より多く愛されることはまずありません。
宗教が哲学の支援を求めた途端、その宗教の消滅は不可避のものになる。
初めての恋で不幸な恋をするのは神様だ。しかし二度目の恋で不幸な恋をするのは馬鹿者だ。
慈善家は我々を搾取し、我々を苦役してだましとって富を見せびらかして、そのうちから二三文の施しを投げ与える。
賢者は新しい思想を考え出し、愚者がそれを広める。
鉄は人間を殺さない。殺すのは手である。その手は心に従う。
偉大なる精神は、偉大なる精神によって形成される。ただし、それは同化によるむしろ多くの軋轢(あつれき)による。ダイヤモンドがダイヤモンドを研磨するのだ。
ああ嘆くではない──それは運命なのだ。人間の運命なのだ。──善いもの、偉大なもの、美しいものが、哀れな最後を遂げるのは。
多くを持つ者は、さらに多くを手に入れる。わずかしか持たない者は、そのわずかなものさえ奪われる。
神が人間をただ苦しめるために創り出したと妄想する、いたずらな信心家たちより、私は、はるかに神について大きな考えを持っている。
偉大な天才は、他の偉大な天才によってつくられる。だが、それは同化することからではなく、摩擦からできあがるのだ。
思想は目に見えない自然。自然は目に見える思想。
悪魔は理論家である。悪魔は現世のよさや官能の悦びなどの代表者であるにとどまらず、彼はまた人間理性の代表者である。
大胆に行うことが成功への秘訣である。
人間、動物の間の貴族。
偉大になればなるほど、非難の矢に当たりやすくなる。
結婚──いかなる羅針盤もかつて航路を発見したことがない荒海。
思想は行動になろうとし、言葉は肉体になろうとする。
もっとも深い真理は、ただもっとも深い愛のみにひらく。
革命は一つの不幸である。しかし、いちばん大きな不幸は失敗した革命である。
幸福は浮気な娼婦である。いつも同じところにじっとしていない。
人間を照らす唯一のランプは理性であり、生の闇路を導く唯一の一本の杖は良心である。
女が終わるところに、劣悪な男が始まる。
僕はおまえが好きだった。そして今でも好きなんだ。たとえ世界が木っ端微塵になったとしても、その残骸の破片から、恋の想いは炎となって燃え上がる。
退屈な本を読んでいてうとうとしたら、その本を読み続けている夢を見て、退屈のあまり目を覚ましてしまった。
愛国心は、国境を背にして初めて芽ぐんでくる。ことに異国にあって祖国の不幸を見やるときに。
人のようにしゃべるロバは見たことがないが、ロバのようにしゃべる人には大勢会ったことがある。
最後の審判の日に天上に現れるという信心家どもの言うあの極楽の状態を、自由な政治と産業の設備の恵みによって、この地上に打ち立てたいと思うのだ。
女というものは、どこまでが天使で、どこからが悪魔なのか、はっきりわからないものなのだ。
我々は、自分の過失についてはいつまでも自分をだまし続ける。そして最後には過失を徳と考えるようになってしまう。
恋に狂うとは言葉が重複している。恋とはすでに狂気なのだ。
私は進歩を信ずる。人類が完全な幸福に到るべき運命を持っていることを。
おお、愛はわれらを幸福にする。おお、愛はわれらを豊かにする。
暗黒時代には、宗教ほど諸国民を導くのに最適なものはなかった。というのも、暗黒の中では目の見えない人がいちばんよい案内役で、目明(あ)きよりもずっと確かだからである。しかし、昼になって明るくなっても目の見えない人に案内させているとすれば、それは阿呆である。
自由は新たな宗教であり、われらの時代の宗教である。
真の天才は、予め一定の軌道にのせて描くことはできない。
生命はあらゆる財宝の最高とす。そして最高の悪は死とす。
とことんまで恋した者は友情に手をつける。