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池波正太郎

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1923年1月25日に東京都台東区浅草7丁目に生まれ、今井教三の長女の長男として日本橋の錦糸問屋の入り口番頭の父・富治郎と母・鈴のもとに育つ。関東大震災の翌年1929年に富治郎が根岸に撞球場を開業するも、不和によりまもなく解散した。小学校卒業後、農学校に編入したが途中で中断し、満州から東京帰る後、薬学部へ編入し1951年に大学を卒業した。その後、木下禮春の病気に伴い抗菌剤の効果を確かめるための医薬品研究の依頼を受け、検 区に調査活動へと就職した。1963年、家内が鳩を飼うようになり鳩に関する執筆活動に入り、1966年に初発表の「夢のほとり」を出版し、評論家・芥川賞受賞作家・池波正太郎として名を知られるようになる。

たとえ、一椀の熱い味噌汁を口にしたとき「うまい!」と感じるだけで、生き甲斐を覚えることもある。
未熟ということは大切なんだよ。僕だって未熟。天狗になったらおしまいだよ。
死ぬつもりか。それはいけない。どうしても死にたいのなら、一年後(のち)にしてごらん。一年も経てば、すべてが変わってくる。人間にとって時のながれほど強い味方はないものだ。
つまらないところに毎日行くよりも、そのお金を貯めておいて、いい店を一つずつ、たとえ半年ごとでもいいから覚えて行くことが自分の身になるんですよ。
おのれの強さは他人に見せるものではない。おのれに見せるものよ。
便利という価値観に負けては、人間社会本然の大事な部分を見失ってしまう。
矛盾だらけの人間がつくりあげている世の中というものも、また当然、矛盾をきわめているのだ。