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河盛好蔵

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河盛好蔵(1902-2000)は、日本のフランス文学者・評論家であり、モラリストの著作を日本に紹介した。1920年大阪府立堺中学校を経て、京都帝国大学文学部仏文科を卒業。1926年関西大学に赴任し、学校騒動で辞職後、1928年ソルボンヌ大学に学ぶ。1931年立教大学教授に就任、戦後は東京教育大学教授や共立女子大学教授を歴任した。

私は青年も自らの過失によってしたたかに傷つくことを、また傷つくことを恐れないことを希望したいのである。
恐らく、世慣れた老人から見れば、若い人たちの野心と夢に充ち溢(あふ)れた姿は、世間知らずの、お坊ちゃんの、独りよがりの、見るからにあぶなっかしい姿であるに相違ない。
人間の不幸は青春時代の夢を早く棄てるところにある。
言葉遣いで注意すべきことの第一は、無神経でがさつな言葉を使わないことである。
どこにも人を引きつける所を持たないことを自覚している人間は、それについてくよくよとあせるより、自然のままで一人で生きているほうが賢明である。
ユーモアは愛情の産物であり、ウイットは頭脳の産物である。
他人の力になってやらなければならない時に、他人に親切ではなかったという思い出もまた、いつまでも私たちの心を苦しめる。
教養と知識とは決して同じものでない。というよりは、知識はそのままでは決して教養にはならない。
幸福を生む力は、それぞれの人の心の中にある。
もし彼ら(=青年)の追求する目的が大きく高い場合には、(過失によって)彼らの流す血は実に美しく、そのような過失は断じて悔恨を伴うことはない筈である。それは若気のあやまちなどではもちろんなく、青春時代の誇りということができよう。
夫婦というものは、お互いに相手の欠点は見て見ぬふりをして、あまり本当のことは言わず、時には適当に嘘をついて、その嘘がバレても、相手がかえって面白がり、親愛の情を増すようにするのが賢明なやり方でないか。
古い友人をいつまでも大切にしている人と、絶えず新しい友人を求めて、交友関係が始終変わっている人とがある。
新しい人生が、新しい世界が、自分たちから始まると思い込むところに青春時代の深い意味がある。
人の心を傷付けないというのは礼儀の基本であるが、私たち全て、他人にはわからない最も傷つきやすい、そこに触れられる事を最も恐れる弱点を心の中に持っている。
人生を楽しむことも一つの才能ではないかと思う。
物事は長い目で見なければならんということですな。急に悲観したり、喜んだりせずに。
喧嘩というものは自分本位にやるべきもので、いいたいことをいって、こちらの溜飲が下がれば、それで最上としなければならない。勝ち負けにこだわる必要はない。