車谷長吉
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車谷長吉は日本の作家であり、兵庫県飾磨市(現・姫路市飾磨区)出身である。詩人李賀を唐代にちなんだ筆名「長吉」を名乗る。私小説を書き詩歌も書き、挫折感や煩悩を主題とした作品は高い評価を得る。代表作となるのは『鹽壺の匙』『漂流物』『赤目四十八瀧心中未遂』などである。
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私は若い頃から多くの女と知り合ったが、いまになって見ると、まぐわいをしないで別れた女がなつかしい。まぐわいをした上で別れた女は、私のことを怨んでいるであろうから、なつかしくない。その怨みを、私は藝(げい)のこやしにして来たので、罪悪感があるのだ。
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世の中には、自分が近代人であることに得々としている人がいる。私は、厭だな、と思う。が、それを咎(とが)めることは出来ない。自分も近代人であるから。せめて私に出来るのは、贋(にせ)世捨人であるかのように生きることだけだ。
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無論、小説を書くことも、広告と同様、騙(だま)しである。併(しか)し広告の騙しは商品を売り付ける手段であるのに対し、小説の場合は、嘘を書くこと、つまり騙しそのものが目的である。その意味で、小説を書くという悪事には救いがない。
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人間としてこの世に生まれて来たことが、すでにそれだけで重い罪である。私は言葉でそういう思想を語りたかった。すると人は「お前の小説を読むと、それだけで自分が人間であることが、つくづく厭(いや)ンなるわ。」と私に背を向けるのだった。私は厭ンなって欲しかったのである。
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本を読むことには、何か辛いものがある。よい本はよい本なりに、悪本は悪本なりに。多分、言葉の毒に中毒するのだろう。いや、言葉だけではなく、絵や写真にも毒はあり、それにも(自分という)存在の一番深いところを刺し貫かれることがある。