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パブロ・ピカソ

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パブロ・ルイス・ピカソは、スペイン・マラガ生まれの画家であり、フランスで制作活動を行った。キュビスムの創始者として知られ、生涯に多くの作品を制作した。

芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている。
(自分には)できると思った人にはできる。できないと思った人にはできない。これは不変かつ明白な法則である。
大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ。
すべては奇跡だ。例えば、お風呂に入ったとき、あなたがお湯に溶けてしまわないことだって。
芸術は日々の生活の埃(ほこり)を、魂から洗い流してくれる。
客観的真実なんてものはないのだ。ただ具体的事実があるのだよ。
ひらめきは、自分で呼び込めるものではない。私にできるのは、ひらめきを形にすることだけだ。
若さとは、年齢ではない。
芸術家の資格はただ智慧(ちえ)と、注意と、誠実と、意志とだけです。
神々がつくり、ひとが発見する。発見したものに、私は署名しただけだ。
あらゆる創造活動は、まずなによりも破壊活動である。
私はいつも自分のできないことをする。そのやり方を学べるから。
若くなるには、時間がかかる。
人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ。
母は、私にこう言った。「あなたは、軍人になれば、いずれ将軍となるでしょう。 修道士になれば、最後には法王となるでしょう」私は、その代わりに画家になり、結局ピカソとなった。
芸術とは、我々に真実を気づかせてくれる嘘である。
画家は、労働者が働くのと同じように、勉強しなければならない。
子供は誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ。
コンピューターなんて役に立たない。だって、答を出すだけなんだから。
私は探し求めない。見出すのだ。
誰もが芸術を理解しようとする。ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか。
明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけ。
自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである。
インスピレーションは常に存在する。だがそれを得るためには、我々は絶えず行動していなければならない。
想像できることは、全て現実なのだ。
他の人間は、それが何であるかを見て、なぜそうなのかを問う。私は、それが何になるかを見て、なぜそうならないのかを問う。
芸術は悲しみと苦しみから生まれる。
行動はすべての成功の基本的な鍵である。
私は大金を持った貧乏人のように暮らしたい。
我々は脳みそを抜き去って、目だけで見ることができればいいのだが。
女の顔はキャンバスだ 毎日女は少しだけ若い自画像をそこに描いている。
絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ。
絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない。
回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる。
「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」「なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ」
私は対象を、私に見えるようにではなく、私が思うように描くのだ。
すべてのものは、かぎられた量しかない。とくに幸福は!
何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ。
仕事は人間に必要だ。だから人は目覚まし時計を発明した。