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ポール・ヴァレリー

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アンブロワズ・ポール・トゥサン・ジュール・ヴァレリーはフランスの詩人、小説家、評論家であり、多岐に渡る旺盛な著作活動によってフランス第三共和政を代表する知性と称されている。5歳よりドミニコ会の学校、7歳より地元の初等学校、11歳より高等科を学んだが、父の反対と数学の不得意から船乗りへの道は断念した。少年期は読書を好んでおり、母方の郷里ジェノヴァでの滞在を楽しんだ。高校時代から文学への関心を強め、1884年にモンペリエに移住し、専門学校に入学した。

打ち砕け、浪よ。欣(よろこ)び踊る水で打ち砕け
恋愛の真の価値は、人に一般的な生活力を増大させる所にある。
他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ。敵の神をこそ撃つべきだ。でも、撃つには先ず、敵の神を発見しなければならぬ。ひとは、自分の真の神をよく隠す。
私にとって困難なことは、私にとって幸運なことである。
最も偉大なる人とは、自分自身の判断を信頼して、敢えて事を行う人間である。もっとも、愚かな人もまた、それと同様だが…。
風立ちぬ、いざ生きめやも。
欠陥が私の出発の基礎だ。無能が私の根源だ。
真に優秀な人間とは、常に何事もただで与えられず、すべて代償を払って築き上げねばならぬことを、一番よく知っている者のことをいうのである。彼らは仕事をするに当たって、障害のないことを恐れ、自分でそれを設けさえするのである。
人生は謙譲という永い教訓である。
世界は平均的なものによって成り立っているが、その価値は極端なものによってしか生み出されない。
人間の姿態を対象とする芸術家にとって、裸体は、作家や詩人たちの場合における恋愛のようなものである。
笑いとは顔の非常に下品な痙攣(けいれん)である。
おのれの夢を描こうと欲するものは、極度に醒めていなければならぬ。
夢をかなえる最良の方法は、目覚めることである。
人が愛したことのない、決して愛そうもない人々に対しては、真の憎しみはあり得ない。憎まれるに値しないような人に対しては、極端な愛は決して生まれない。
文学の目的は、人生の目的と同じく不変である。
きわめて薄汚い小犬でも、致命傷を与えうる。つまり狂犬でありさえすればよい。
神は男をつくられた。そして彼が十分孤独ではないと思われたので、伴侶を与えられた。
思考は極端なるものによってのみ進み、中庸なるものによってのみ存続する。
自殺の許可は、完全に幸福な人にのみ与えられる。
新しいものの中で最も善きところは、人間の最も古い要請に応える点だ。
書物は人間と同じ敵を持つ。
私の内部の言葉はふいに私を襲い、私はそれを予見できない。それが語るとき、私は自分をその話し手とは呼びえず、私はその聴き手になってしまう。自我とは内部の言葉の最初の聴き手なのだ。
風が起こる!生きなければならない!
善をなす場合には、いつも詫(わ)びながらしなければいけない。善ほど他人を傷つけるものはないのだから。
話好きが暖炉に背を向けるように、人は死と背中合わせになっている。
風 吹き起こる……生きねばならぬ。
あらゆる芸術は言葉を持っている。
我々の敵は、我々を活気づけてくれる。
魂を肉体から分離させるものは、生であって死ではない。
大きなことをしようとする人は、細部を深く考えなければならない。
人間の本性は善である。人間は忘れっぽく、怠け者で、軽薄で、浅はかであるのだから。
政治とは、国民に関わる事柄に、国民を関与させないことである。
行動するためにはいかに多くのことに無知でなけねばならぬことか!
私を他の連中と比較しないでいただきたいね。第一にあなたは私という人間を知っていない。――それに、他の連中のことも知っていない。
欲望と渇望の対象としての女性、道具であり、かつ装飾である女性、快楽と生殖の器具である女性。
理想とは、不満の意を表明する方法のことである。
青年は完全なるものは愛さない。なぜなら、彼らの為すべき余地があまりにもわずかしか残っていないので、彼を怒らせるか退屈させるからである。
悪しき考えは、心からやって来る。
恋愛とは二人で愚かになることだ。
我々の本当の敵は、いつも沈黙している。
流行は常に、人目につきたくない人が人目につきたい人を模倣することにあるから、その結果、流行は自動的に変化する。
世の中には創造する天才があるように、探す天才もあり、書く天才があるように、読む天才もある。