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城山三郎

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城山三郎は日本の小説家(本名杉浦英一)です。経済小説の開拓者として有名な他、伝記小説や歴史小説も多く著していました。1927年(昭和2年)に愛知県名古屋市中区に生まれ、名古屋市立名古屋商業学校を経て1945年(昭和20年)、愛知県立工業専門学校に入学しました。終戦を迎え海軍特別幹部練習生として特攻隊伏龍部隊に配属した後、1946年(昭和21年)、東京産業大学に入学し、1952年(昭和27年)に改名された一橋大学を卒業しました。卒業論文は「ケインズ革命の一考察」でした。大学在学中には洗礼を受けるなど宗教を重視していました。2007年(平成19年)3月22日に逝去しました。

望むと望まぬとにかかわらず、余暇時間は増大しており、そうした時間をどう過ごすかで、その人の人生も変わりかねない。
楽観も悲観もない。人間のつくるもので100パーセントうまく行くなんてものがあるはずがない。
「○○会社の誰それ」という器のはずれた定年後こそ、百人百様の自由な飛翔ができるのではないか。(中略)「毎日が日曜日」になったあとは、それこそ蜘蛛の子を散らしたような、個々ばらばらの老後に向かって、駆け出す生き方があっていいはずです。
どんな事態にも、第三の道がある。そう思えば、人生にも新しい風が吹いてくるのではないか。
会社が大きくなればなるほど、縦にも横にもパイプがふえ、しかもそのパイプがつまりやすくなる。上意下達はともかく、下意上達が難しくなる。ナマの情報や空気が、会社のトップへは伝わらなくなる。そこをなんとか工夫して風通しをよくしなければ、細胞は壊死してしまう。
打たれて傷ついた身が、健康人と同じことができるはずがない。傷ついた男には、傷ついた身にふさわしい生き方、生きて行く工夫がある。健康人をまねて、むやみにあがき嘆くのではなく、頭を切りかえ、いまの身でできる最良の生き方を考えることである。
ものには退くべきときというものがあります。土壇場へ行ってからでは、もう誰も救ってくれませんよ。
人生は挑まなければ、応えてくれない。うつろに叩けば、うつろにしか応えない。
背伸びして視野をひろげているうち、背が伸びてしまうこともあり得る。それが人生の面白さである。
一つの会社に孜々(しし)営々と十余年つとめているということ、そして、妻子をかかえて暮らしていくということ──それはじゅうぶんに人間としての重さを感じさせてよいことだ。人間としてのたしかさを認められていいことではないか。
老いにもてあそばれるのではなく、老いを手玉にとる生き方はないものか。
絶対正しいことや、絶対正しい人間が、この世に存在するはずがない。すべては、不完全である。不完全だから、人間であり、不完全な人間が少しずつでも補い合って生きて行くのが、人生というものである。
人間にはいつも四人の人間が住んでいる。一人は探検家、一人は芸術家、もう一人は戦士、四番目は判事。この四人が正常に機能している人が、一番素晴らしいリーダーになれる。
人間にも企業にも、試練に耐えるためにだけ生きている時期がある。
だめでもやっていれば、必ずできる。やめれば、永久にできぬ。ただそれだけのことさ。
この世の中には、あきらめなくてはならないことなんて、ひとつもない。
あれこれ考えるより、つくるのが先決だ。まずいところがあれば、動かしながら直して行けばいい。
天使は、必要なとき、やってくる。
大人が一年間ムキになってやれば、たいていのことは、りっぱな専門家になれます。
ゲームでも、仕事でも、秘訣は同じである。
行儀のわるい人はいつでもいますよ。しかし、行儀のわるい人はどこにも通用しない。一発勝負やって当てる程度。いずれは行き詰る。
義理も欠く、人情も欠く、恥もかくという「三かく主義」でなくては、とても忙しい世の中を渡りきれぬ。あちらを立て、こちらも立てているのは、どれも落伍者ばかりなのだ。
人生の姿勢は、無用のときは、小さく低くしておくに限る。
壁があると思えば、ほんとうに壁が立ちはだかってしまう。
「一期(いちご)の盛衰、一杯の酒」。──この世(=人生)でどれほどの盛衰があろうと、一杯の酒のうまさにはかなうまい。