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手塚治虫

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マンガ作家・医師の『手塚治虫』は、1928年に兵庫県宝塚市で生まれ、1946年1月1日に『少国民新聞』で『マアチャンの日記帳』でデビュー。1947年に『新寶島』を発表し、大阪で赤本ブームを巻き起こした。1950年から『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』などヒット作を次々と手がけ、1963年に『鉄腕アトム』を日本初となる30分アニメを完成した。彼の作品は後世に大きな影響を与えている。

一生に一度くらい、火みたいに女に焦がれてごらんな。
漫画に必要なのは風刺と告発の精神である。
医者は生活の安定を約束していた。しかし、僕は画(え)が描きたかったのだ。
「ダメな子」とか、「わるい子」なんて子どもは、ひとりだっていないのです。もし、そんなレッテルのついた子どもがいるとしたら、それはもう、その子たちをそんなふうに見ることしかできない大人たちの精神が貧しいのだ。
締切りなしの作業なら思い切り楽しい仕事になるだろうが、おそらくまったく進行しないに違いない。
人を信じよ、しかし、その百倍も自らを信じよ。
仮病は、この世でいちばん重い病気だよ。
終始一貫して僕が自分の漫画の中で描こうとしてきたのは、次の大きな主張です。「命を大事にしよう!」
人間は何万年も、あした生きるためにきょうを生きてきた。
ただ一つでも人に自慢できるものを持っていることがほんとうに幸せなのです。何でもいいから、一つのことを高校二年生ぐらいまでつづけていると、それはかならず何らかの形でみなさんの宝物になるのです。
アトムは完全ではないぜ。なぜなら、悪い心を持たねぇからな。
僕の体験から言えることは、好きなことで、ぜったいにあきないものを一つ、つづけてほしいということです。
睡眠は三日間で三時間。こんなつらい仕事を四十年続けるなんて、馬鹿じゃないとできないですよ。
漫画ってのは誰かに読んでもらわないと意味がないんだよ。
後世に残る作品をなどと気張らず、百歳まで描きたい。
人間が生きものの生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね。
人の命なんて、心配してもしなくても、終わる時には無情に終わるものだ。
子どもに殺しを教えることだけはごめんだ。世界中の子どもが正義だといって殺しを教えられたら、いつか世界中の人間は全滅するだろうな。
水爆を見たまえ…あれは原子力の完成芸術だが、人を殺すほか役に立たないぜ。