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トーマス・カーライル

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トーマス・カーライルは19世紀のイギリスの歴史家・評論家であり、彼の主張で有名なのが「世界の歴史は英雄によって作られる」というものだ。彼はスコットランドのダンフリーズ・アンド・ガロウェイ、エクルフェカンから出身し、ドイツ文学の研究でも知られている。1865年にはエディンバラ大学の学長に任命され、1868年まで務めた。彼の作品には『英雄崇拝論』、『フランス革命史』、『オリバー・クロムウェル』、『衣装哲学』、『過去と現在』などがある。

一生の仕事を見出した人は幸福である。その人には、他の幸福を探す必要がない。
平和を保つ最善策は、戦争当事者が自分は絞首刑にふさわしい者だと感ずることである。
雄弁は銀なり。沈黙は金なり。
伝記のみが真の歴史である。
突き詰めて言えば、人間とは思考ではなく、行動である。
過失の最大のものは、全然それに気がつかぬことである。
すべての気高い行いは、最初は不可能に見える。
価値ある人間だけが、他人の持つ価値を理解できる。
お前がなすことによって獲得した知識以外には、お前は知識を所有しているとはとてもいえまい。
真理は喝采では作れない。是非は投票では決められない。
すべての事において、人間は苦悩をくぐり抜けて完成されるのである。
勤労はつねに人類を悩ますあらゆる疾病と悲惨に対する最大の治療法である。
失敗の最たるものは、失敗したことを自覚しないことである。
現在というものは、過去のすべての生きた集大成である。
人間は道具を使う動物である。道具なしでは無であり、道具があると全てである。
最初に「越えがたき難所に道を切り開く」その人に誉れあれ!
人の心を動かして説得しようとする者は、おのれがまず感動し、おのれを説得することから始めなければならぬ。
神の有無は、二十年考えても二千年考えても、信ずることはできても説明することはできない。
明確な目的があれば、起伏の多い道でも前進できる。目的がないと平坦な道でも前進できない。
婦人たちの貞淑(ていしゅく)は、しばしば自分の評判、自分の安静を愛(いと)おしむ心にすぎない。
虚栄は虚偽の産物である。
みずから正しいと信じる者は、王の万軍よりも強く、みずからの正しさを疑う者はいささかの力も持たない。
沈黙は口論よりも雄弁である。
人生──二つの永遠の間のわずかな一閃。
最大の過ちは、どんな過ちを見ても少しも気づかぬことである。
いつだって心は頭より先に物事をつかんでいる。
天才とは、何よりもまず苦悩を受け止める先駆的な能力のことである。
人生で最も大切なことは、はるか彼方にあるものを見ようとすることではなく、目の前にはっきり見えるものをきちんと実行することだ。
人の富とは、その人が愛し祝福するものと、その人を愛し祝福してくれるものとの数のことである。
人間は戦うように創られている。人にとって戦うことは、永遠に避けられないことである。
何か変だな、と言う感覚が科学の根っこにはないといけない。
人生の目的は行為であって、思想ではない。
働くことができない、人間として使命を果たすことができない、これが結局、人間の唯一の不幸なのである。
この世で神のように尊いものの一つは、人間の価値に対する人々の心の尊敬である。
効果だと?影響だと?役に立つかどうかだと?人間は自分のなすべきことをなせばよいのだ。仕事の成果は、自分以外の人が気にかけることだ。
天才とは、本質を見抜く人である。
忍耐は集結された根気である。
人間が人間に与える力は無限である
たとえ太陽系と天体の全部が壊れたとしても、君が死ぬのは一回きりだ。
逆境は時に人間にとってつらいことがある。しかし順境によく耐えうる人一人に対して、逆境に耐えられる人は二百人もあろう。
人生における勝者は、スタートするときから生涯の目的を持っているものだ。自分はどんな人間になりたいのか。最後まで守りたいものは何なのか。自分がいなくなったあとに、どんな伝説を残すことができるだろうか。勝者は知っている。
大多数の人々は保守的であり、新しいものを中々信じようとしない。だが現実の多くの失敗には辛抱強い。
逆境とは、天が自分の宝石を磨くときに使うダイヤの粉塵のことだ。
自然は神の生きた服装である。
恋愛とは人間地上で味わうことができる最大のよろこびを人間に獲(え)させる狂気の沙汰である。
確信は、それ自体が行動に変わるまでは価値のないものである。
社会はいかなる時代にも、人の実力の発揮を妨げない。
人生の目標を持て。そして、そのために神から与えられた精神と身体をつぎこめ。
ジャーナリズムの力は絶大である。世界を説得しうるような有能な編集者は、すべて世界の支配者ではなかろうか。
およそ改革は、道徳的改革を除き、結局は無効であることが明らかになるだろう。
不可思議は宗教の根本である。
人間とは何か?愚かな赤ん坊だ。無駄に努力し、戦い、いらだち、何もかも欲しがりながら、何ものにも値せず、小さな墓をただ一つ得るだけだ。
目的を持たない人は、やがては零落する。全然目的のないよりは邪悪な目的でもあるほうがましである。
同じ花崗岩のかたまりも、弱い人にとっては、道の障害物になる。しかし、強い人にとっては、道に置かれた踏み台となる。
世間は凡人の共和国。
人は人間を着物を通して洞察せねばならない。そして、着物を無視することを学ばねばならない。
すべての大偉業は、最初は不可能事だと言われた。
自分より身分の低い人に対する接し方に、人の偉大さは現れる。
独創性の良さは新規さではない。それは誠実さなのだ。
経験は最良の教師である。ただし授業料が高すぎる。
人に望まれ賞讃される勇気は、美しく死ぬ勇気ではなく、男らしく生きる勇気である。
争いの場合、怒りを感ずるや否(いな)や、我々はもはや真理のためではなく、怒りのために争う。
労力なければ安楽もなく休息もなし。
財宝は火のようなものである。非常に役に立つ下男であるかと思えば、いちばん怖ろしい主人でもある。
人間を船にたとえると、九十五パーセントの人が舵(かじ)のない船に相当する。「いつかは、豊かで繁栄した港に流れ着くだろう」という甘い希望を抱きながら、風と潮の変化のままに、手をこまねいて漂流している。こんな船は、たいていは岩にぶつかったり、座礁したりして沈没してしまうものだ。
人間にとって最優先課題は、この世で自分がなすべき仕事を見出すことだ。
羞恥心は、あらゆる徳の源泉である。
火が光のはじめであるように、常に愛が知識のはじめである。
労働がなければ、安楽もなく休息もなし。
笑いは全人類の謎を解く合鍵である。
近代文明における三つの大いなる要素は、火薬と印刷と新教徒の宗教である。
最大の欠点は、何人も自覚してない。
名声は価値の確かな証跡であり、その可能性にすぎない。名声は人間の偶発的な出来事であって、財産ではない。
人生の問題を解決するには、まず針箱を整頓せよ。
暴力は正義すらも不正に行う。
懐疑は知的な疑念を意味するのみではなく、道徳的な疑念をも意味する。
歴史はうわさを蒸留したものである。
永遠の幻影を持たない人は、真に時を理解することは決してできない。
変化は苦痛だが、それはつねに必要なものだ。
健康な人は自分の健康に気がつかない。病人だけが健康を知っている。
宗教は不滅である。地上の夜が暗黒を加えるにつれ、天上においてもますますその輝きを増す。
理想は我々自身の中にある。同時に、理想の達成を阻むもろもろの障害もまた、我々自身の中にある。
沈黙は偉大な事柄を形づくる要素である。
もっとも恐ろしい疑念は、自分自身に対する疑念である。
真の生活は、自己否定が始まるときに開始される。
人が、出来ることすべてをしないなら、そのうち、しなければならないことすら、出来なくなる。
友よ。言葉とうわさは、すべて、はかない。取るにたらぬ不真実なものである。真実の仕事のみが、諸君らが誠実になすことだけが、全能なる創設者、世界の建設者その人のように永遠である。
ほんとうのユーモアは、頭より心からわき上がってくるものです。
音楽は天使たちの語らいである。
恋愛は発狂ではない。が、両者には共通点が多い。
誠実さ、深く偉大で純粋の誠実さこそ英雄的な人の第一の特色である。
沈黙は偉大なるものが自然に形成される固有の環境である。
この世における最後の福音は、「お前の仕事を知り、かつなせ」である。
あらゆることは、その初めにおいて不可能なり。
一度でも心から全身全霊をもって笑ったことのある人間は、救いがたいほどの悪人にはなれない。
生きている時に偉大であった人間は、死ぬと十倍も偉大になる。
私は自分にいつも賛同する人とは多くを話したくない。しばしの間、反響と戯れることも楽しいが、誰でもすぐに飽きてしまう。