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ウィリアム・ハズリット

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ウィリアム・ヘイズリットは、イギリスの著作家、批評家、随想作家である。1793年にロンドンのハックニーにあるユニテリアン・ニュー・カレッジに入学したが、牧師には向いていなかったということから1年後にウェムに戻った。イギリスやフランスの哲学書、セルバンテス、ボッカチオ、ラブレー、モンテーニュなどに影響を受けたヘイズリットの作品は言語と感情の力を重視している。

働けば働くほど働ける。忙しければ忙しいほど暇が出来る。
雄弁に欠かせないものは誠実さである。自分に対して誠実な人間になれば、人を説得することができる。
女は理詰めで考えない。だから滅多に間違わない。
怠惰は、楽しいながら痛ましい状態である。幸福になるには、何かをしなければいけないからである。
偏見は無知の子供である。
自由を愛することは他人を愛することだ。力を愛することは自分を愛することだ。
勝とうと思えば勝てる。自信こそ勝利の条件である。
実践にまで濃縮された偉大な考えは、偉業となる。
皮肉屋は愛を通じてではなく、怖れを通じて他人の称賛を得る。
自分自身の存在を夢のように楽しむ者、あらゆるものを自分の心に照らして見、そして信念と希望を頼りに進む者、若かりし日の彼の行く手を照らした星は、いまだに遠くから彼を見守り、いまだに俗世間の魂にその心を汚されていない者──そうした人間は何と幸福だろうか!
約束を破る愉しみのために約束する人間がいる。
人生は情熱によらなければ勝負できない事ばかりだ。
前の時代を軽んじることは、後の時代に我々自身のことを軽んじるように教えているようなものだ。
われわれのすべては、多かれ少なかれ意見の奴隷である。
幸運は偉大な教師であるが、不運はそれ以上に偉大な教師である。
人間はおべっかを使う動物である。
本当に偉い人物になると、偉そうな様子は全然見せないのである、つまらぬ人間に限って人を見下すものである
年をとるにつれて、我々は時間の価値についての感覚を鋭くする。実際、外(ほか)の何ものも何の重要さもないように思われる。そして我々は時間のけちん坊になる。
一般に冗談を言うと、誰か必ず被害をこうむる人がいる。
何百万という人類の滅亡よりも、自分の小指のけちな痛みのほうが心配なものだ。
どんな目的であれ、達成の鍵は情熱の強さだ。目的達成への強い気持ちが手段を明らかにしてくれるだろうから。
他人と戦争をしているものは、自分自身との平和を築いていない。
自己に従って生きると私が言っている意味は、社会の一部として生きるのではなくて、社会の中で生きるということである。
富は心を豊かにする。貧苦は心を鍛える。
自分に対し誠実ならば、人を説得できる。
私達は年齢を重ねるにつれて、時間の価値をいっそう鋭く感じるようになる。実際、時間以外のものはまるで大したものではないように映じてくる。そしてこの点で、私達はいよいよ悲惨な人間になってくる。
書物のこと以外に何も知らないような学者は、書物についても無知であるに違いない。書物は書物の使い方を教えない。
重い役職に就くと、人はそれにふさわしい能力を身に付けることは目を見張るばかりである。高位に就けば、それだけ人の評価も高まるし、自信がつければ力も強くなるのと同じだ。人は置かれた境遇に同化するものだ。
なんの取柄もない人々の存在は、実は世の中になくてはならない救いのひとつである。己の分をきちんとわきまえている限りは、その人はけっこう面白いし、愛嬌さえある。
人間は笑い、かつ(また)泣く唯一の動物である。なぜなら人間は、あるがままの事実と、あるべきはずの事実との相違に心を打たれる唯一の動物であるからだ。
女性の手紙はたいてい、「追伸」の中にいちばん肝心の用件が書いてある。
人が話す中身のほとんどは自分のことばかりだ。
沈黙は会話のなかの一つの偉大な技術である。自分の口を閉じるときを知る者は馬鹿ではない。
改革が勝利を得るために肝要なことは、それがけっして成功を収めてはならないということだ。
無邪気な性格は、深遠な思索の自然発生的な結果である。
才能は勤勉努力に依存することをなす能力であり、自発的な力であるのに反し、天才は不随意の力である。
自賛してみるがいい。自分を称讃する愚者どもを間違いなく見つけるだろう。
人間の愚かさを見て、われわれが学ぶことのできる最善の教訓は、それを見て立腹しないことだ。
繁栄は偉大な教師であるが、艱難(かんなん)はさらに偉大な教師である。
己自身を低く評価するものは、他人からも低く評価される。
人間こそ、笑いかつ泣く唯一の動物である。
人は、自分が正しいだけでは満足できない。他人がまったく間違っていることを示すまでは。
浅い喜びを味わうよりも、深い悲嘆を飲み込んだ方が良い。
女性の優雅は容貌の美よりさらに有力である。
ユーモアは会話の調味料であり、食べ物ではない。