フランシス・ベーコンのプロフィール画像

フランシス・ベーコン

@01GR32CV6A5RPSTTA2AZWQJKJT

フランシス・ベーコンは、イギリスで1561年1月22日に生まれ、父ス・ニコラス・ベーコンが大法官兼庶民院議長兼国璽尚書であり母は女王エリザベス1世の側近であった初代バーリー男爵ウィリアム・セシルの子として生まれました。一番末っ子である彼は、イングランド近世(ルネサンス期、テューダー朝(エリザベス期)からステュアート朝)の一番著名な政治家として知られており、「知識は力なり」(Ipsa scientia potestas est)の名言や、「イドラ」の概念で有名です。

悪賢い人は勉強を軽蔑し、単純な人は勉強を称賛し、賢い人は勉強を利用する。
年とった人々は異議が多すぎ、相談が長すぎ、冒険が少なすぎ、後悔が早すぎ、めったに仕事をとことんまでやりとげず、いいかげんな成功で満足する。
歴史は人間を賢明にし、詩は多才あるものにし、数学は鋭敏にし、自然哲学は深遠にし、倫理学は重厚ならしめ、論理学と修辞学は議論に秀でさせる。
妻は、若い夫にとっては女主人であり、中年の夫にとっては友であり、老年の夫にとっては看護婦である。
最高(=最悪)の孤独は、ひとりも親友がいないことだ。親友がいなければ世界は荒野に過ぎない。
反論し論破するために読むな。信じて丸呑みするためにも読むな。話題や論題を見つけるためにも読むな。しかし、熟考し熟慮するために読むがよい。
学問をあまりに奥飾りに用いるのは気取り屋である。
忍耐は集結された根気である。
外からの出来事が人の運の良し悪しに大いに関係することは確かだ。これには、他人の好意、機会、関係者の死、その人の美徳ゆえの機会などが入る。だが、自分の運をどう発展させていくかの問題は、その人の手中にしかない。
善がなければ、人間はただの虫けらにすぎないし、うるさい有害な劣悪な動物にとどまろう。
美貌は夏の果物のように腐りやすく長持ちしない。
飲食、睡眠、運動の時間に何も考えず快活なのは、最良の長寿法のひとつである。
浅薄な哲学は人の心を無神論に傾け、深遠な哲学は人の心を宗教へ導く。
大衆に役立つ最上の仕事や功績は、独裁者か、あるいは子供のない男によってなされる
妻子を持つ者は、運命に人質をとられたようなものである。というのは、妻子は善であれ、悪であれ、大事業の足手まといとなるからである。
愛することと、(※同時に)賢くなることは不可能だ。
時こそが最大の改革者である。
異端者とは、火刑柱(ひあぶりばしら)を燃やす者ではなく、火刑柱に火をつける者のことだ。
富は消費するためにある。消費する目的は、名誉と善行である。
ものごとは確信を持って始めると、疑惑に包まれて終わるのがオチである。しかし初めに疑ってかかり、じっくりそれに耐えれば、最後は確信に満ちたものになる。
若い時は、一日は短く一年は長い。年をとると、一年は短く一日は長い。
人の天性は、よい草を生ずるか、雑草を生ずるか、そのいずれかである。だから折を見て、よい草に水をやり、雑草を取り除かねばならない。
立派な家を悪い敷地に建てる者は、みずからを牢獄にゆだねる者である。
天使は力において神と等しくなろうと欲して法を破って堕ち、人間は知識において神と等しくなろうと欲して法を破って堕ちた。
友人に本心を伝えることは、二つの相反する結果をもたらすということである。それは喜びを二倍にし、悲しみを半分に切りつめるからである。
己自身を熱愛する人間は実は公共の敵である。
妻は、夫が若いときには愛人に、夫が中年になったら友人に、夫が年をとったら看護婦になれ。
ささやかな利益も、積み重ねれば重い財布になる。
虚偽を加味することは、金貨銀貨に加える混ぜ物のように、実用に役立たせるかも知れないが、その質を低下させる。
やっかいなのは恐怖心そのものだけだ。
平和は戦争よりもよい。というのは、平時において息子たちは父親たちを埋葬し、戦時において父親たちが息子たちを埋葬するからである。
徳性は宝石のようなもので、あっさりした台に嵌(は)めこまれたものが最上である。
他の人に賛成するには、やはり自分の意見をいくらか加えるのがよい方針である。
高位にある人間は、三重に奴隷である。すなわち、君主または国家の奴隷であり、名声の奴隷であり、仕事の奴隷である。
名声は川のようなものである。軽くてふくらんだものを浮かべ、重くてがっしりしたものを沈める。
わが心を打ち明ける友を持たない人々は、己と己の心とを食う人喰い鬼である。
時間をぜんぜん消費しなければ、年において若くとも、時間においては老いていることもありえる。
青年たちは判断するよりも発明すること、評議するよりも実行すること、決まった仕事より新しい企てに適している。
説得が手応えをもつには、理性だけでは駄目で想像力へのアピールが必要だ。
裁判官としての職務は、法律を解明することに存し、法理を制定することではない。
金は良い召使いだが、場合によっては悪い主人でもある。
復讐する時、人間はその仇敵と同列である。しかし、許す時、彼は仇敵よりも上にある。
ある者の愚行は他の者の財産である。
私たちの人間性は、私たちの内部に動く神性を除くと、貧弱なものである。
高慢な人間は、虚栄心の奴隷である。
すべてのものが変化するのは明らかだが、実際には消え失せるのではない。物質の総量はつねに同じだ。
読書は充実した人間を作り、書くことは正確な人間を作る。
真理は「時」の娘であり、権威の娘ではない。
人間は死を怖れる。ちょうど子供が暗闇を怖れるように。そして子供のうちのこの怖れが色々な物語によって大きくなるのと同じように、死への怖れも大きくなる。
冗談に本気を混ぜて変化をつけるのは、よいことである。
家を建てるのは住むためで、人に見せるためではない。
健康な身体は客間で、病身は監獄である。
どんなことでも、度を越して他人をうんざりさせる人は見くびられる。
富を軽蔑する、という人間をあまり信じるな。富を得ることに絶望した者が富を軽蔑するのだ。そして、こういう人間がたまたま富を得ると、何よりも始末が悪い。
ものごとが実行に移されたら最後、迅速に匹敵する秘密保持はない。
目を凝らして注意深く観察すれば、運命を見分けることができよう。盲目であっても、運命は見分けられぬものではないから。
学ぶのに、時間を費やしすぎるのは、怠惰である。
賢い者は、機会を見つける以上に、機会を多く創る。
大胆は無知と卑劣の子であって、他の資格よりはるかに劣る。
ある人が嘘をつくということを考えてみれば、それは、その人が神に対しては大胆であり、人間に対しては卑怯である、ということにほかならない。
宗教は生活の腐敗を防ぐべき香料である。
冗談は、しばしば真実を伝える手段として役立つ。
すべて優れた美には、その釣り合いの中にいくらか奇異なものが含まれているものである。
持って生まれた能力というのは植物と似たようなものだ。研鑚によって余計なものを刈り取らなければならない。
真理という優れた地盤の上に立つことに比すべき愉しみはない。
われわれは自分の言葉を統御していると考えているが、しかし、われわれが言葉によって支配され統御されているのである。
人間は自然に服従しながら、自然を支配する。
大胆な人間の適切な用い方は、これを頭目として指揮させず、部下として他の指図を受けさせることにある。
人間は自分の知っている以外のものではない。
結婚のための愛は人間をつくるが、友情の愛は人間を完成する。
ある本はその味を試み、ある本は呑み込み、少数のある本はよくかんで消化すべきである。
害をなすのは、心を素通りする虚偽ではなく、心の中に沈んで居座る虚偽である。
人間は、ある意見を、そうだと思いこむと、すべての事柄をその意見にあわせ、その意見が正当であると主張するのに、都合がいいように寄せ集めるものだ。
金はこやしのようなもので、撒かなければ役に立たない。
風刺的な傾向を持つ人間は、他人に自分の機知を恐れさせると同時に、自分も他人の記憶を恐れなければならない。
幸運が勝手に転がり込んでくる人たちもいる。
確かに、たとえ卵焼きを作るためだけであっても、家を燃やしかねないのが、極端な利己主義者の本性である。
子供は苦労を和らげる。しかし不幸を一段とつらいものにする。子供は人生の煩(わずら)いを増す。しかし、死の思いを和らげる。
最上の証明とは経験である。
説き伏せるには大胆な人を、説き勧めるには話のうまい人を、調査や観察には巧妙な人を、おいそれとは片づかない仕事には強情な一筋縄では行かない人間を用いるがよい。
金銭は肥料のようなものであって、ばら蒔かなければ役に立たない。
嫉妬は常に他人との比較においてであり、比較のないところには嫉妬はない。
党派における裏切り者はやすやすと成功してしまう。
希望はうまい朝食だが、晩飯にしてはまずい。
読むことは人を豊かにし、話し合うことは人を機敏にし、書くことは人を確かにする。
生得の才能は自然樹のようなもので、学問によって剪定(せんてい)することを必要とする。
親の喜びはひそかなものである。その悲しみや不安もまた同じだ。
結婚する男は、七年も年老いたと思うであろう。
人間は自然に服従することによって、自然を支配することができる。
哲学者は、あまりに遠くて光がほとんど届かない星に似ている。
迷信の首魁は民衆である。すべて迷信においては、賢者たちが愚者どもに追随する。そして正常の場合とは反対に、まず実行があって、後から理論がこれに当てはめられる。
海のほか何も見えないときに、陸地がないと考えるのは、けっして優れた探検家ではない。
過ぎ去ったものは、もはや再び帰らない。賢者は現在と未来について考えるだけで手一杯であるから、過ぎ去った事柄をくよくよ考えている暇がない。
恋をして、しかも賢くあることは不可能だ。
不可思議──それは知識の種子である。
人生は道路のようなものだ。一番の近道は、たいてい一番悪い道だ。
空威張りする人間は賢者に軽蔑され、愚者に感嘆され、寄生的人間にたてまつられ、彼ら自身の高慢心の奴隷となる。
順境の美徳は節度であり、逆境の美徳は忍耐である。