堀場雅夫のプロフィール画像

堀場雅夫

@01GR35HT6FEKDX77DYXRZ0Q4D2

堀場雅夫は、日本の実業家。1971年に全米で実行した世界初の「社長50歳定年制」の実行者として知られています。1924年(大正13年)に京都市に生まれ、京都教育大学附属京都小中学校などを経て1946年(昭和21年)京都帝国大学理学部物理学専攻卒業後、学生ベンチャーを草分け的存在とされる。1978年(昭和53年)、53歳で代表取締役社長を辞し、代表取締役会長職に就任しました。2015年(平成27年)7月14日、91歳で逝去しました。

真剣にその仕事をやって、どうしても自分が向かない、こんなことで人生を過ごすのはもったいないと思ったときは、思い切ってパッとやめなさい。
今日できることを明日に延ばさない人が成功する。
(何かを)突き詰めた人の話にいつも説得力があるのは、振り返ってものを語ることができるからだ。
上から与えられる仕事は、自分が好きでない可能性も高い。そうでなくとも、仕事をやらされているという意識は士気を低下させる。
人から押しつけられるスタンダードとは別の、自分自身が納得できる(価値)基準を持てれば、独自の勝ちパターンを見つけることもできるようになる。
仮に「君はこうしたほうがいい。 こうすべきだ」と言ってくれる人がいたとしよう。その助言が結果的に正しかったとしても、それはたまたまの幸運にすぎない。
必ず成功するベンチャーなどない。成功するかどうかわからないからベンチャーと言うので、「絶対に成功する」と言った途端に、それはベンチャーではなくなる。
新しい事業に乗り出すのはリスクを伴うが、企業というものはいつも新しいことを始めて、自分をリフレッシュしていなければじり貧に陥ってしまう。
いくらこちらがいい話をしても、相手が聞いていなければ一生懸命話したとしても何にもならない。
事業に対するモチベーションを高めるもっとも大きな原動力は、「好き」ということである。「この仕事(=事業)は社会にとって必要なのだが、私以外にやる人がいない、できない」というのは、私の中では最優先の条件ではなく、二番目である。
「何でもいいからナンバーワンになれ、オンリーワンになれ」と言われる。何事においても頂点を極めれば、その厳しさを知るとともに、物事の筋道がよく見えてくる。一つを極めることができれば、どんな仕事でもいちばんいい処理の仕方を見つけ出すことができる。
失敗は失敗として、簡単に挫折することはない。失敗の分析は貴重なノウハウとなって残るのだから。
一芸に秀でるということは、その芸の本質を極め、最高のレベルのあり方を知ることだ。
一流を知り、一流を極めた人には、相似形の悟りや理解というものが備わっている。
リーダーとなって、「あの人はいい人だ」とみんなから思われているようなら、自分のやり方はどこか間違っているかもしれないと自己チェックしたほうがいい。
話を聞いてもらおうと思ったら、まず相手の顔、表情、反応を見なければいけない。相手は自分の話に耳を傾けているかどうか。常に相手の反応を見ながら、話し方を変えていく。
ベンチャーの経営では、たえず未経験の問題に直面する。そこで問題に取り組み、解決して得た経験とノウハウが、次の新しい問題に対決するときの大きな糧になるのだ。
企業は(資本家、経営者、労働者の)三者が信頼し合い、力を発揮できるような関係をつくってこそ、いい仕事ができるのである。
仕事でも何でも、自分の頭で考え、自分で計画を立て、自分の足で走り出さなければ、人に先んじることはできない。
あなたの悩みは、他人に簡単に切って捨てられるほど単純なものではないはずだ。そのことを知っているあなたが、人の話を無防備に聞いてしまってはいけない。
何かを突き詰めた人の話は人の心を動かす力がある。
「いいヤツ」は毒にならない代わりに、薬にもならない。いてもいなくてもいい人間である。
プロジェクトチームのリーダーとなり、チームの誰からも好かれるようにしようと思ったら、絶対にうまくやっていけない。どんなに構成員のバランスがとれていて、優秀な人間ばかり集まっていたとしても、プロジェクトを進める過程では必ず意見の対立があるものだ。
会社は資本家と経営者、労働者の三者が信頼し合い、お互いを高め合えるような「WIN-WINの関係」をつくり、三者が公平に利益分配するのがいちばん良い。
自分の力で自分のやりたいことを追い求めよ。そのほうがはるかにおもしろい人生になる。
(自分が)理解されない理由は相手側にある場合もあるが、理解させられないのは自分の責任でもある。言葉が足りないのか、説明がわかりにくいのか、あるいは内容に説得力がないのかもしれない。
いつまでも中小企業のセンスを持っていないといけない。大企業の効率と中小企業の精神的つながりがうまくミックスしたら、それは最高の経営になる。
教育の役割は、その人がいちばん興味を持っていることや、好きなこと、また得意なことを見つけて、それを伸ばしてあげることである。
人間はそれほど簡単に自分を変えられない。おそらく、それができるのは、かろうじて二十歳ぐらいまで。二十五歳、三十歳になったら、本質的な自分はまず変えられない。
どんなに強い陽射しでも物を燃やすことのない太陽の光線も、小さな虫眼鏡で焦点を合わせるだけで発火する。集中すればそれだけのパワーが生まれるのである。
問題の答えは、厳しい状況に直面している当人が考え抜いて初めて絞り出されるものである。
自分の行動は、自分の価値観に従って決断するほかない。
お客様の厳しい言葉こそ、篤い信頼の裏返しなのだ。お客様が怒(おこ)ってくれるのは、自分に対するエールである。名誉と思って、信頼に応えられるよう努力していかなければいけない。
日本人は、「ダメでもともと」が大変嫌いのようだ。やる以上は成功しないといけないと思っている。バクチに必ず勝つ方法はない。だから、新しいことに挑んで、失敗する可能性が多いベンチャービジネスは、日本ではなかなか育たないのだ。
能力のない人間に、「君は無能」だと露骨に言うことはできないから、「いいヤツだ」と言う。
道を究めた人は実に自分に厳しい。彼らはみな精進によって未来を自分でつくっている。大変を大変とは決して言わず、むしろその大変なことをおもしろおかしくやってのけている。
スピードを上げ、限られた時間から価値を生もうとするなら、好きなことをしなければ。
自分のフィロソフィーを明確に持って初めて、人の話を聞くことに意味が生まれる。フィロソフィーをきちんと持たずに、白紙の状態で人の話を聞くのは非常に危険なことだ。
本当にイヤと思うほどそれをやってみたか?
アメリカの小学校では、積極的に手を挙げて自分の意見を言った子供には、たとえ言ったことが間違っていても、その姿勢をほめる。だが日本では、正解を答えた子供しかほめない。その結果、日本人は大人になっても、疑問に思うことを率直に聞きただせないのである。
目の前の仕事には、飽きがくるほど達成感や満足感を得ようと、没頭してきました。
自分たちがいつも使っているむずかしい専門用語でしか語れないのは、誰にもわかるような置き換えができないということだ。
真底好きなことであれば、その過程にきつい作業があっても苦にならない。
知を結集すれば、少ない投資で付加価値の高い先端的な仕事ができる。
本来議論とは、お互いが正しいと思うところを主張し、相手の間違っていると思うところを指摘したうえで、お互いにその指摘に答えて、正しい結論を得ようとするものでなければならない。
「私はこういうことをすべきかどうか悩んでいます。 やっても大丈夫でしょうか。 やめたほうがいいでしょうか」などという聞き方をする人がいる。このように判断をそのまま他人に委ねてしまうような聞き方はすべきではない。
抵抗を少しも受けないのは、その提案が毒にも薬にもならない、あってもなくてもいいものだということである。もちろん誰も応援する気は持っていない。
私はこれまで、つねに新しい仕事を探し求めてきた。新しい仕事に取りかかって二、三年もすると、軌道に乗り、水平飛行に移る。そこで仕事はすべて部下に渡してしまう。渡すと言えば聞こえがいいが、私自身が飽きてしまうのだ。渡してしまうと自分の仕事がなくなるから、また新しい仕事を探す。私の場合、一つの仕事にこだわり、しがみつく人の気持ちは想像もつかない。
社員は誰もが、積極的に新しい提案をできるようにならなければいけない。
まず何としてもその仕事のコツをつかむことである。コツをつかめば、むずかしかった仕事や苦しかった仕事も楽しくなるから、フットワークは自然によくなる。その仕事での感覚はさらに鋭くなるから、それこそその仕事の名人になり、仕事はもっとおもしろくなる。
話の上手な人は、内容的にはむずかしいことでも、聴衆が理解できるようにやさしい言葉を選び、噛み砕いて話し、いっそう理解が深まるようなわかりやすい事例を引く。
自分の能力の限界を知らない人は、一回失敗して打ちのめされたときに、これが限界だと思う。「もうダメだ。 これで終わりなのだ」と思ってしまう。
実に多くの人が自分と格闘することを回避している。そのために自分の能力を過小評価し、自分の可能性を狭め、行動範囲を過度に限定している。その結果、自分に自信が持てず、何事にも主体的な行動がとれなくなっている。
日本人は、何事においても「人がどう思っているのだろうか」と考える。「大部分の人がいいと言うのなら、やっぱりいいのかな。  自分は基準から外れているのかもしれない」と心配する。だがそう思うと自分がなくなってしまう。それでは負けだ。
「いいヤツ」は「仕事ができない人」と同じ言葉だ。
挑戦しなければ、当然チャンスも逃す。
イヤならやめろ!
一分刻みのビジネスの世界を勝ち抜いていくためには、最後まで聞かなければわからないような話し方を改めなければならない。できるだけ簡潔な言葉でまず結論を話し、自分の態度を明確にしたうえで、必要に応じて細かい内容や状況を説明する、という話法を身につけることである。
必要以上の評価を受けたら(次は)必ず落とされるのだから、喜んでいると後でがっかりさせられる。
既存の事業を新しい方式、新しい価値観で第二の創業に変えていくベンチャーもあり得る。これならリスクが比較的少なく、現実的ではないだろうか。
一芸に秀でた人は、その一芸だけでなく、違う分野のことにもうまく勘を働かせて、相当の結果を出すものである。
本当に(教育の)機会の平等を求めるのであれば、日本の大学は全国で一つだけにして、入りたい人全部を入学させればいい。
(一つのテーマについて)数人での議論は、三分間五ラウンド(合計十五分)の説明、質疑応答を行えば、考えられる意見は全部出尽くす。(追加の質疑応答を考慮しても)三十分あれば十分で、それ以上いくら時間をかけても、内容と結果に変化はない。
社長に言われた言葉を部下の前でそのまま繰り返すようでは情けない。社長はその人に向けた言葉として話しているのだから、その話を一度自分で内容を把握し直したうえで、部下に向けた言葉として再構成して伝えなければいけない。
今までのやり方を根本的に見直して、大きな変革を起こそうとするとき、その旗手はまず間違いなく嫌われ者になるだろう。
(提案に対して)何の抵抗も受けないのは、実行されても痛くもかゆくもないということだ。いい提案というものは、現状の改革を伴うなど、何らかの変化を要求するから、少なからず抵抗を受けるものだ。
企業は舞台だ。そこに働く人は俳優、経営者は演出家である。いい舞台で、いい演出家のもとで、俳優が自分の性格に合った演技をすれば最高だ。そうすれば、必ずお客様は喜んでくれるはずである。舞台と演出家と俳優と、そのどれもがよくないと舞台は成功しない。
一部の人が思っているような、「いい人だから仕事ができる」ということはない。むしろ「いい人」が無能の代名詞として使われることはけっこう多い。
お客様から苦情があったときは、すぐに飛んでいって最善最速の対応、処理を行えば、お客様の怒りは静まり、「こんなに素早く対応して、一生懸命問題を解決しようとしている。 この会社はやっぱりいい会社だ」と思ってもらえるものだ。
自分のスピードを活かすためには、人の話など聞いていてはいけない。
少々面倒で、今はやりたくないと思うようなものが、明日になり、明後日になったら面倒でなくなり、やりたくなることはまずあり得ない。
脳を集中させ、勘を鋭く研ぎ澄ますためには、とくに勘を働かせたい分野、自分のテーマを決めることだ。その分野だけは誰にも負けないほどの知識を学び、必要なネットワークを広げてどんどん情報を吸収しよう。そうすれば、そのテーマの本質や性格がつかめ、重要な情報とそうでない情報の差、情報に隠された意味もわかってくる。それも頭での理解でなく、感覚でわかってくる。
神は二物を与えずと言っているが、その裏には、神は必ず一物は与えている。その自分の一物をいかんなく発揮できるようにすれば、必ずオンリーワン、ナンバーワンになれる。
一日のうちには小さな成功、小さな挫折がいくらもある。どれだけ成功し、どれだけ挫折したか、その体験をきちんと受けとめ、積み上げていくことによって、より確実に、より大きな成功を収められるようになる。
「あいつらには理解できっこないんだ」と思ってしまえば、それこそ相手を説得することなどできなくなる。
百メートル走でいちばんスピードが出ないのはスタートからの二十~三十メートルである。一気に走らずに二十五メートルずつ走るような仕事をしていたら、その都度トップスピードに達しないまま、いちばん集中できるところまで自分を高められないまま終わってしまう。
その場でさっと物事を決められなかったら、時間をかけていくら考えても一緒です。結論がすぐ出ないのは、そのテーマについて日ごろから考え抜いていないからです。
尽くすべき手を尽くしたら、「自分はやるだけのことはやった。 これだけやったんだから必ず成功する」と思えばいいのである。そう思える仕事をしたときは爽快な気分になれるものだ。一方で、「これだけやってもダメなら誰がやってもダメさ」という開き直りの気持ちでいればいい。
仕事はおもしろいと思わなければいけない。おもしろくない仕事は能率が上がらないからだ。時間ばかりかかり、ますます苦痛になる。いやいややった仕事は結果もよくない。会社は儲からないから、給料もあまり多くもらえない。
日本人は議論が下手だ。それ以前に、議論とは何かを理解していないために、本来の意味での議論ができないのである。議論を仕掛けられると、非難されたと思い、ケンカをふっかけられたと受け取る人が実に多い。
悪い評価を気にすることはもうやめよう。良い評価もあまり鵜呑みにしないほうがいい。およそ人の評価というものは、過剰であるか過小であることがほとんどで、適正であることはあまり望めないからだ。
出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は誰にも打てない。出ない杭、出ようとしない杭は居心地はよいが、そのうちに腐る。
自分の提案が通って、やりたい仕事ができるというだけで、仕事の能率も内容も格段にレベルアップする。
(計画の)最後の一年、最後の一日になって初めて分かること、決定できることがある。
勘とは頼るものではない。
(仕事は)おもしろおかしく
ベンチャーを始めるのに学歴や人脈は必要ない。大切なのは嗅覚だ。
おもしろい人はその人独自の情報を持っている。
多くの場合、反対の根拠はその人の経験則にある。新しい考え方に立ったものほど反対されやすいのは、これまでの経験では及ばない世界だからだろう。
私は伝統や蓄積に根ざした技術の開発を「八合目からの技術開発」と呼んでいる。どの地域にも必ずベースになる知識や技術があり、それを地場産業に結びつけることが大事だ。
人の話を聞いて、それで問題が解決するほど経営は単純ではない。
やりたいことをやるためには、最初のうちは違うこともしなくてはいけない。結局、一つ一つを丁寧にこなしていくしかないんです。
他人に決めてもらって、仮に良い結果が得られてもあなた自身の蓄積にはならない。自分の決断であれば、たとえ失敗しても次は同じ失敗をしないですむ。
戦いは生き残るための厳しい試練だが、飛躍、展開するチャンスでもある。
「私はこういうことをしたいと考えています。 それについてAさんはどうお考えですか」という聞き方をすれば、これは「人の話を(無防備に)聞く」ことにはならない。情報収集である。情報収集は決断をする際に必要なことだ。
思い入れが強く、これは何としてもやらなければならないと思ったとき、人間は信じられないほど大きな力を出せるものだ。逆に、どうなってもいいと思ったときにはその半分の力も出せないのだ。
何人かで議論をするとき、一人が一回にかける時間はだいたい三分まで(で充分)だ。五分十分話をしても、それはだらだらとしゃべっているだけで、内容量は三分の人と変わらない。
上司が優位を保つために、自分の(既存の)仕事を(いつまでも)抱えていると、上司もレベルアップしないばかりか、部下を育てることもできない。
もっと自分自身で考え、自分自身に問いかけ、自分の中から答えを見つける努力をしてほしい。
限られた時間の中で、ある一定の成果を出すには、「人のフンドシ」で相撲をとることだ。