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アンドレ・ジッド

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アンドレ・ポール・ギヨーム・ジッドは、フランスの小説家として知られています。幼時に受けた厳格な宗教の教育と性的な欲求の矛盾が、その根底にあります。プロテスタントの家系の出身で、1869年パリメデシス街に生まれました。文壇誌『新フランス評論』の創刊者の一人としても知られ、『日記』や、『背徳者』『狭き門』『田園交響楽』などの作品で有名です。

各人は、驚くべき可能性を内蔵している。君の力と若さを信ぜよ。たえず言い続けることを忘れるな。「僕次第でどうにもなるものだ」と。
あらゆる瞬間を見逃さず、今までにない新しいものをつかみとれ。自分の好みにかまけてはならない。
我々は、まず人間から出発しなければならない。
大芸術家とは、束縛に鼓舞され、障害が踏切台となる者であります。
未来!この未来を創造するものは諸君をおいて他にはないのです。
いちばんいやらしい嘘は、いちばん真実に近い虚言だ。
目の見える人間は、見えるという幸福を知らずにいる。目の見えない人間は、見えないという幸福を知らずにいる
心というものは、使わずにおくと干からびるものである。
未来は外からくるものではない。未来は諸君らの内にある。
美しく死ぬのは、さほど難しいことではない。しかし、美しく老いることは至難の業(わざ)だ。
あらゆる美徳は自己放棄によって完成される。果実の極度の美味は、果実が萌芽を求めていることにある。
価値ある芸術家とは、流れが右へ引きさらおうとしようが、左へ引きさらおうとしようが、その流れに抗する芸術家のことだ。
幸福になる秘訣は、快楽を得ようとひたすらに努力することではなく、努力そのもののうちに快楽を見出すことである。
芸術は常に一(ひとつ)の拘束の結果であります。
私の思想は、私に、自分自身で確認したもの以外、何ものも真実とは認めさせない。
ただ一つのもののみを欲し、それをずっと欲し続けるべきだろう。そうすれば確実にそれを手に入れることができる。
人の一生は長い旅行だ。書物や人間や国々を通ってゆく長い旅だ。
過ぎ去ったことを悔やむのはやめましょう。もう頁(ページ)はめくられてしまったのですもの。
恋をした後の最大の幸福は、自分の恋を告白することだ。
真実を探している者を信じよ。真実を見つけた者は疑え。
あるものを正しく判断するためには、それを愛したあと、いくらか離れることが必要だ。それは国についても、人間についても、そして自己自身についても本当である。
平凡なことを毎日平凡な気持ちで実行することが、非凡なのである。
ある年齢以後になると、友人を選ぶよりは、友人に選ばれる場合の方が多い。
懐疑主義こそ、おそらく英知の始まりであろう。
人にはそれぞれに素晴らしい可能性がある。自分の力と若さを信じることだ。「自分次第でどうにでもなる」と、絶えず唱え続けることを忘れるな。
懐疑は、おそらく英知の始めかもしれない。しかし、英知の始まるところに芸術は終焉(しゅうえん)する。
憂鬱は凪(な)いだ熱情に他ならない。
女は恋に限界がないと主張する。男は恋に限界があると見ている。
木と草は、自分の子孫があまり自分のそばに生えないように気を配る。なぜならば、そうしなければ子孫のために窒息させられてしまうからである。
誤って伝わった自分の印象ゆえに愛されるより、むしろ真実の自分の姿ゆえに憎悪されるほうが気持ちがよい。
喜びをあらかじめ計画することをやめ、一瞬一瞬のもつ新鮮な驚きにひたろう。
私の死んだのち、私のおかげで、人々がより幸福に、より立派に、より自由になったと認めると思うと、私の心は温まる。未来の人類の幸福のために私は私の仕事をした。私は生きた。
長い間、海岸を見失うだけの覚悟がなければ、新大陸を発見することは出来ない。
偏見は文明の支柱である。
神の到来を待ち望む者は、自分が神の御手の中に現在いることがわからない。神と幸福は不離一体であるという信念を抱いて、あらゆる幸福を現在のこの一瞬の中に注ぎ込むことだ。
人間は束縛によってのみ、自己を絶滅から救いうる。
自分に理解力がないことを苦痛に感じるためには、すでに相当の理解力がなければならない。馬鹿ほどうぬぼれの強いものはない。
愛される男は、正直な話、女にとって、愛を引っかける釘くらいの値打ちしか持っていない。
同じ生活を営み、お互いに愛し合っている二人の人間が、どの点までお互いに謎であり、城壁をめぐらしていることができようか。
芸術が上昇するためには、それに抵抗する力に頼る必要がある。
人間がもう少し気狂いでなかったならば、戦争から生まれる悲劇を免れたはずである。
今日では一般に、芸術家は独特であればあるほど、また、その作品がすべて自分自身で考え出したものであればあるほど、そして、それらの作品に見られる先人の影が少なければ少ないほど、大きな価値を持つと思われている。しかしその際、芸術家は、あまりにも自分の時代に順応し、このわざとらしい見せかけの独創性によって、時代の無政府主義的な趣味に屈伏する危険を冒しているのである。
私は無信仰だ。だが、決して不信仰とはならないだろう。
改造すべきは単に世界だけでなく、人間だ。その新しい人間はどこから現れるか?それは外部からでは決してない。友よ、それをお前自身の内に見出すことを知れ。
芸術は拘束より生まれ、闘争に生き、自由に(=自由のために)死ぬのであります。
もし手元に良いペンと、良いインクと、良い紙があったら、わけなく傑作を書けそうな気がする日々がある。
ひとたび睡眠というこの青春の泉に(自分を)浸すと、私は自分の年齢をあまり感じないし、自分がまだ健康であると信ずることができる。
訪れるものを喜んで迎え、それ以外のものを望んではならない。
私の務めは自分の健康に関してである。自分の体のためにならないことは、すべて「悪」と呼ばねばならない。
人は、欠点をそのままでは直せない。それには、まずその欠点を快く認めることが必要である。
眠りには素晴らしいものが用意されている。すばらしい目覚めがそれである。だが、すばらしい眠りなど在りはしない。
偽りの自分を愛されるより、ありのままの自分を憎まれる方がましだ。
貞淑、それは虚栄である。それは形を変えた自尊心である。
幸福は対抗の意識のうちにはなく、協調の意識のうちにある。
ああ!青春!――人は一生に一時しかそれを所有しない。残りの年月はただそれを思い出すだけだ。
誤りと無知とによって作られた幸福など、私は欲しくない。
鳩は、自分の翼を束縛する此(こ)の空気が無かったならば、もっとよく飛べるだろうと思うのですが、これは、自分が飛ぶためには、翼の重さを托(たく)し得る此の空気の抵抗が必要だということを識(し)らぬのです。
家庭よ、閉ざされた家庭よ。私は汝を憎む。
あなたの真実が嫌われるのは、あなたの偽りが愛されるよりもいい。
幸福になる必要なんかありはしないと、自分を説き伏せることに成功したあの日から、幸福がぼくのなかに棲みはじめた。
本を読むにせよ、音楽を楽しむにせよ、すぐそこに没入しようなどとは決して求めてはいけない。もしそうしたいならば必ず大昔の作家を選ぶこと。
人生はよくなるものだという確信を捨ててはいけない。それがあなたの人生であれ、他人の人生であれ。
私が願っているのは、はたして幸福なのだろうか、それともむしろ幸福への歩みなのだろうか。
金持ち連中の軽蔑には容易に耐えられる。だが一人の恵まれない人の視線は、私の心の底に深く突き刺さってくる。
罪とは魂を曇らせるすべてのものをいう。
あえて馬鹿に見せるということは大きな知恵である。だが、そのためには私にはいつも欠けていた、ある種の勇気を必要とする。
改革すべきは単に世界だけでなく、人間である。その新しい人間は、どこから現れるのか?それは外部からでは決してない。友よ。それを君自身のうちに見出すことを知れ。しかも鉱石から純粋な金属を採るように、この待望の新しい人間に君みずからなろうとせよ。君からそれを得よ。